可能態(potential voice)
(1) 彼が 中国語を 話せる(こと) (他動詞可能文①)
(2) 彼が 中国語が 話せる(こと) (他動詞可能文②)
(3) 彼に(は) 中国語が 話せない。 (他動詞可能文③)
(4) 彼が 泳げる(こと) (自動詞可能文)
あるものが何かをすることができる状態にある、またはそのことをする能力があることを表すには、(1)~(4)のような言い方をします。他動詞可能文は「XがYを他動詞辞書形」と規則的な転換が可能で、能動文の動作主Xは可能文で「それが可能・不可能」という能力の主体を表すようになり、他動詞文で対象だったYは「何が可能か不可能か」という能力の対象を表すようになります。
| 能動文 | ↔ | Xが Yを 動詞可能形 | 他動詞可能文① | |
| Xが Yを 他動詞辞書形 | Xが Yが 動詞可能形 | 他動詞可能文② | ||
| Xに(は) Yが 動詞可能形 | 他動詞可能文③ |
自動詞可能文は「Xが自動詞辞書形」と規則的な転換が可能です。そもそも自動詞は動作の対象Yをとらないので「Xが」の格関係を調整する必要はなく、可能文にしても格関係の変化は生じません。
| 能動文 | Xが 自動詞辞書形 | ↔ | Xが 動詞可能形 | 自動詞可能文 |
また、可能形にすることができる動詞は意志的な動作を表すものに限られます。無意志動詞は可能形にすることができません。
可能文を作る動詞の形態的特徴
五段動詞なら語幹に -e-(ru) 、一段動詞なら語幹に -rare-(ru) を付加して動詞の可能形を作ります。こうして作られた可能形は一般に規範とされる形ですが、言語実態として五段動詞に -ere-(ru) を付加した「書けれる」などのれ足す言葉や、一段動詞に -re-(ru) を付加した「食べれる」などのら抜き言葉も可能を表す形式として使われています。
| 動詞の使役形 | 例 | |
|---|---|---|
| 五段動詞(子音語幹動詞) | 動詞語幹 – e – (ru)動詞語幹 – ere – (ru) | 書ける書けれる |
| 一段動詞(母音語幹動詞) | 動詞語幹 – rare – (ru)動詞語幹 – re – (ru) | 食べられる食べれる |
| サ変動詞 | suru → deki – (ru) | できる |
| カ変動詞 | kuru → korare – (ru)kuru → kore – (ru) | 来られる来れる |
動詞を可能形にすると全て一段動詞化します。
※「する」に形態的に関係のある可能形は存在しませんが、意味的に関係があるものとして「できる」があります。ここでは「する」の可能形を「できる」として考えます。
(5) どうしても行かれないんですか。
(6) 泣くに泣かれぬ
他、可能形には五段動詞語幹に受身形と同じ「-are-」を付与した形の(5)(6)も見られます。
可能文の用法
可能文は何かをするにあたり、その実現について妨げるものはないという中心的な意味を持っています。
何かの実現を妨げるものがない状態は恒常的な場合もありますし、一時的な場合もあります。例えば主体が何かを実現する能力を持っているのであれば、その能力は通常消えてなくならないと考えられるので、動作の実現を妨げるものは恒常的に存在しないと考えられます。一方、能力にはよらず、ある条件が満たされることでのみ動作が実現可能になるのであれば、動作の実現を妨げるものは恒常的に存在しているわけではなく、一時的と考えられます。この区別は日本語共通語では見られませんが、その他の言語では形式上区別されています。一般に前者を能力可能、後者を状況可能と呼んで区別します。
能力可能
可能表現のうち、その動作を実現することが可能か不可能かである条件が能動主体の能力に理由があるものを能力可能と言います。能力可能の文では、能動主体にある能力があったりなかったりしたために、それを実現することが可能、不可能となることを表します。主体はニ格をとることもあり。
(7) プロだから1000mくらい簡単に泳げる。
(8) 作り方が分からないから作れません。
(9) やり方も分からないし、私にはできません。
例えば(7)は、1000m泳ぐことに関する実現可能性に、主体が「プロ」であるということが関係しています。つまり主体は1000mを泳ぐ能力を恒常的に有していると解釈できます。このような可能文を能力可能と呼びます。
状況可能
可能表現のうち、その動作を実現することが可能か不可能かである条件が能動主体の能力以外に理由があるものを状況可能と言います。能動主体にそれを実現する能力があったとしても、材料不足や手段の欠如、故障といった外的状況によってその動作の実現が可能不可能であることを表します。
(10) タバコはあそこなら吸えますよ。
(11) 材料がないから作れません。
(12) 障害が発生していてアクセスできない。
(10)では、タバコを吸えるかどうかは主体の能力に関係なく、場所によることが伺えます。場所が変われば不可能になるわけなので、当該可能の状態は一時的なものと考えられます。このような主体の能力以外に理由がある可能文が状況可能です。
津軽方言の可能表現
東北地方北部、津軽方言における可能表現には二つの形式があります(佐藤・平山 2003: 32; 澁谷 2002: 8; 澁谷 2006: 67)。「切る」意の「キル」を例にすると、肯定形では「キレル(切れる)」と「キルニイー(切れる)」、否定形では「キレネ(切れない)」と「キラエネ(切れない)」です。
| 能力可能 | 状況可能 | |
|---|---|---|
| 肯定形 | キレル | キルニイー |
| 否定形 | キレネ | キラエネ(*1 キライネ) |
例えば、練習するなどして肉を切る能力を有している場合には「キレル」、能力がない場合は「キレネ」を用います。また、切れ味のいい包丁だから肉を切ることができるなら「キルニイー」、切れ味が悪くて切ることができないなら「キラエネ」を用います。このように津軽方言では可能表現が2種類あり、それぞれ能力可能と状況可能を表します。(ただし、これらは現代の若い世代ではあまり明確に使い分けされないように思います。上の世代、少なくとも私の母(60代)は使い分けをしていますけど)
(1) a このパソコン壊れてるはんで直せね <能力可能>
(このパソコン壊れてるから直せない)
b 今部品ねーはんで直さいね <状況可能>
(今部品ないから直せない)
(2) a 金槌だから泳げね <能力可能>
(金槌だから泳げない)
b 波があるはんで泳がいね <状況可能>
(波があるから泳げない)
(1a)はパソコンを直すために必要な知識や技術などが無いことを表すので能力可能の形式「直せね(ナオセネ)」を用いています。(2a)は部品がないという条件による不可能なので状況可能の形式「直さいね(ナオサイネ)」を用いてます。ただし、上述したようにこれらの使い分けを明確にしなくなってきているようなので、能力可能でも状況可能でも形式が入り混じって使われることもあります。
参考文献
佐藤和之・平山輝男(2003)『日本のことばシリーズ2 青森県のことば』32.明治書院
渋谷勝己(2002)「可能」『方言文法調査ガイドブック』7-27.
渋谷勝己(2006)「自発・可能」『方言の文法(シリーズ方言学 2)』 59-73.岩波書店
日本語記述文法研究会(2009)『現代日本語文法2 第3部格と構文 第4部ヴォイス』くろしお出版
寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版
*1 私の地域ではこのように言うのでメモ。「切られね→切らえね→切らいね」みたいに音便が生じて変化しているのかもしれません。

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