文化本質主義(Cultural Essentialism)
文化本質主義とは、「各々の文化は、その文化を表わす純正な要素をもっており、他の文化との間に何らかの明確な境界をもっている、と捉える文化観」(馬渕 2002: 55)のことです。例えば日本人論や日本文化論のように日本を異文化理解の側面から捉えるときは、「日本人は集団を尊重して和を保とうとする特異性がある」という『菊と刀』で述べられているような集団主義的な傾向で一括りにされ、一般化されることがあります。こうした言説の基礎には”真性な日本人”という存在が想定されており、それと同時に日本人以外の者はそのような特異性を有さない、全く異なる文化や規範を持つ人も想定されています。しかし、一口に日本人や日本文化と言っても世代により性別により、居住地や職種により異なり、一括りにできるものではありません。このように自文化と異文化の間にははっきりとした境界があると捉える文化本質主義においては、文化の中にある多様性に気づく機会を失わせ、自文化と異文化に対立構造を見出し、ひいては他者を傷つけたり、文化の理解を阻害してしまう可能性があります。
また馬渕(2002: 164-165)は、海外・帰国子女教育や国際理解教育にみられる日本文化論においては否定的な特殊性を強調する言説が多いことを指摘しています。
・画一的で科目数が多い。
・一方通行の授業。
・詰め込み教育。
・知識偏重。
・大規模学級。
・先生は説教が多く威厳を示す。
これらも海外の教育がいかに素晴らしいかを主張しながら日本の教育をひとまとめにして自虐的に評価したものですが、都市部と地方の教育の差や世代間の教育の差などに注意が払われていません。また書き手が自らの経験にしたがって都合の良いエピソードばかりを集めて論述していたり、「海外の教育」とは言いつつも実際はアメリカの教育だけと比較して比較対象が限られていたり客観性に欠けます。これらもまた文化本質主義的見解です。
参考文献
異文化間教育学会(2022)『異文化間教育事典』20頁.明石書店
馬渕仁(2002)『「異文化理解」のディスコース 文化本質主義の落し穴』京都大学学術出版会
ルース・ベネディクト(著)・長谷川松治(訳)(2005)『菊と刀』講談社

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