令和3年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅲ 問題5解説
問1 場面・学習項目の導入
教案見ますと、丁寧に許可を求めるために使う「させていただけませんか」の授業です。
この表現を使う場面は、①相手に行為の許可をとる場面で、かつ②その行為で自分に利益がある場合。この2つの条件を満たすときに「~させていただけませんか」は使いやすいです。また、問題文にもありますが、許可をとる性質上、相手は目上の人であることが多いです。
選択肢1
目上の人がいますよっていう状況をイラストなどで視覚的に理解させておくのは有効です。それをしないのは逆効果。
選択肢2
普通ゆっくり言うと聞き取りやすくなるので、聞き取りやすくするために速度や声色を変えないというのは逆。
選択肢3
導入はちゃんとしとかないと後々まずい。1回しか聞かせないのはダメ!
選択肢4
これが正しいです。新しい学習項目を導入するときは、その学習項目の意味が辞書を使わなくても推測によって分かるような作りにするのが望ましいです。(できるかどうかはともかく)
したがって答えは4です。
問2 キュー
「休みます」を「休ませます」のように活用させて言わせるのは、パターンプラクティスという文型練習の一つで、変換練習などと呼ばれています。
選択肢1
先生が「いつ行きますか?」などのキューを出したら、それに学生が「1時に行きます」のように答える練習のことです。
選択肢2
先生が「泳ぎます」といったら「泳げます」、「読みます」といったら「読めます」と言わせるような練習のことです。
下線部Bの練習はこれ。
選択肢3
先生が「学校に」と言ったら、「学校に行きます」
先生が「自転車で」と言ったら、「自転車で学校に行きます」
先生が「4時に」と言ったら、「4時に自転車で学校に行きます」というのような練習のことです。
選択肢4
先生が「本」といったら、「机の上に本があります」
先生が「ペン」といったら、「机の上にペンがあります」
先生が「皿」といったら、「机の上に皿があります」というような練習のことです。
したがって答えは2。
問3 使役表現が難しい理由
使役表現「させる」を使っていろいろ例文作ってみましょう。
選択肢1
(1) 母が私に部屋を掃除をさせた。 (有情物)
(2)?木が私に部屋を掃除をさせた。 (無情物)
典型的な使役文は誰かが誰かに何かをさせることを表します。誰かに何かを使役するためには、使役することができる存在を主語におかないといけません。そのような存在は意志的な存在、すなわち有情物です。(2)のように無情物が使役形の主語になることは基本的にはありません。なぜなら無情物は意志的に何かを使役することは通常できないからです。ただし、「雨が私に別れを決めさせた」みたいにちょっと詩っぽく言うことはできますが、これは擬人法みたいな表現なので例外と考えていいです。この選択肢は適当。
選択肢2
使役文には次の3つの文型があります。
(3) 父が 息子に 部屋を 片付けさせた。 (他動詞使役文)
(4) 父が 息子を 働かせた。 (自動詞使役文①)
(5) 父が 息子に 働かせた。 (自動詞使役文②)
他動詞使役文(3)はガ格が使役者、ニ格が被使役者、ヲ格が対象を表します。
自動詞使役文①(4)はガ格が使役者、ヲ格が被使役者を表します。
自動詞使役文②(5)はガ格が使役者、ニ格が被使役者を表します。
使役者はいずれもガ格で表しますが、被使役者は他動詞の場合ニ格で、自動詞の場合ヲ格とニ格のバリエーションがあります。また、他動詞使役文は述語が他動詞なので、その働きかける対象をヲ格で表します。自動詞使役文は働きかける対象がないからヲ格は現れないかと思いきや、(4)のように使役者をヲ格で表すことがあり、これが対象のように見えて紛らわしい。
まとめると、使役文はニ格だから被使役者、ヲ格だから対象みたいに一概に言えないわけです。「行為者と被行為者の関係が把握しにくい」とはこのような意味で、この選択肢は適当です。(行為者、被行為者という言い方が気に入らない)
選択肢3
選択肢2でも挙げた例文を再利用して…
(3) 父が 息子に 部屋を 片付けさせた。 (他動詞使役文)
(4) 父が 息子を 働かせた。 (自動詞使役文①)
(5) 父が 息子に 働かせた。 (自動詞使役文②)
他動詞使役文なら動作の主体は「に」で表し、自動詞使役文なら「を」か「に」で表されます。自動詞か他動詞かで動作の主体を表す格助詞が変わるので学習者にとっては難しく感じるでしょう。この選択肢は適当です。
(被使役者を「動作の主体」と呼ぶのが気に入らない)
選択肢4
他動詞「聞く」の使役形は「聞かせる」で、これには似ている形の自動詞「聞こえる」があります。
他動詞「見る」の使役形は「見させる」で、これには似ている形の他動詞「見える」があります。
形はまあ似てるけど… 意味も用法も全然違います。
(6) 私が 彼に 音楽を 聞かせる。 (~が~に~を)
(7) 私が 音楽が 聞こえる。 (~が~が)
「聞かせる」「見させる」は使役の意味で、「聞こえる」「見える」は自発だし。
「聞かせる」「見させる」は「~が~に~を」の文型をとりますが、「聞こえる」「見える」は「~が~が」の文型をとります。この点からしても用法は違います。この選択肢は不適当。
したがって答えは4です。
問4 インプット理解の重点を置いた活動
何か新しい知識を入れたりする作業をインプットと言って、持っている知識を産出することがアウトプットです。
1 学習者は文を見て、自分の知識に照らし合わせて正しいものを選びます。インプットの活動。
2 学習者は文を読んで、自分の知識に照らし合わせて〇か✕か判断します。インプットの活動。
3 短い文を聞かされてディクテーション、つまり聞いた言葉を文字にする作業です。これはアウトプットの活動。
4 学習者が受けた質問内容と自分の知識を照らし合わせて「はい」か「いいえ」で答える。インプットの活動。
答えは3です。
問5 媒介語
選択肢1
これは媒介語の良い使い方です。
例えば… 箸から箸へ物を受け渡す箸渡しはなぜ日本ではダメなのか、っていう問題が授業で出たとします。これを日本語で説明しようとすると、火葬、遺骨(骨)、骨壺、葬儀のような言葉が出てきます。これらは結構レベルの高い言葉なので、火葬は「死んだあとに人を燃やすこと」、遺骨は「死んだ人を焼いたあとの骨」みたいに言わないといけなくなって逆にややこしくなりがちです。こういう時はもう日本語で説明するのを諦めて、媒介語を使っちゃおうということ。
文化的な側面はちゃんと知ったほうがいいことなので、媒介語でしっかり伝えてあげるのも大事です。
選択肢2
教室活動に関する定型的な指示とありますが、これは教室用語と考えればいいでしょう。
「言ってください」「聞いてください」「もう一度」「ゆっくり」などなど、こういった教室を回すのに使う言葉は教室用語と言いまして、初級の授業の初めにちゃんと導入します。文法とか単語とか、その難易度は無視して、これはこういう意味!というふうにはじめに無理やり教えちゃいます。なぜなら教室用語は先生がそのまま使い、学生に指示するための言葉だからです。それを媒介語にする必要は全くありません。先生の指示は多いので、慣れさせるという意味でも日本語のほうが絶対いいです。
選択肢3
クラスの中に中国人も韓国人もフィリピン人もベトナム人もいるようなのが多国籍クラスでは、例えば中国人が最も多いクラスで中国語を媒介語として使っても、他の国籍の人には伝わりません。英語は一応最もメジャーな言語ではありますが、英語だって通じない国籍も十分にあります。多国籍なクラスだったら媒介語は基本的に使えないので、この記述は間違いです。
選択肢4
授業中は基本的に日本語を使います。学習者に何か話してもらう場面でも、日本語で指示を与え、日本語でフィードバックするのが普通です。そこで学習者の母語を使うのは何とも… あと発話の間違いはさせたほうがいいと思う。
よって答えは1です。
コメント
コメント一覧 (5件)
はじめまして、いつも丁寧な解説ありがとうございます。こちらのサイトを参考にさせていただき、今年日本語教育能力検定試験を受験しました!
試験Ⅲの問題4について一点質問があります。
「インプット理解に重点を置いた活動」として不適当なものを選ぶ問題のため、選択肢のうち3つはインプット活動なのかなと思うのですが、どうでしょうか…?(解説では選択肢1.2.4がアウトプット活動、3がインプット活動となっていたので質問させていただきました。)
>小坂さん
あっ、本当ですね! ご指摘ありがとうございました。
インプットとアウトプットの記述が反対になっておりました。答えはそのまま3だと思います。
ご迷惑おかけしました。
すみません、先程インプット活動、アウトプット活動の問題についてコメントさせていただいたものです。
問題番号の記載が不十分でした。試験Ⅲの問題5の問4です。
いつも解説参考にして勉強しています。ありがとうございます。
問3.選択肢4.で、「見せる」は「見る」の使役形ではなく「見せる」という他動詞ではないのでしょうか?教えてください。
>takaさん
ご指摘ありがとうございます。
本当ですね! 私が間違っていました。「見る」の使役形は「見させる」で、「見える」はこれで辞書形の他動詞でした。おっしゃる通りです。
一応解説は修正いたしました。ありがとうございます!
ところでこの選択肢4の内容はいまだに何のことを言ってるのかよく分かっていません。
推測で見る、見させるなどの話をしていますが、本当に合っているのかどうか…
何より選択肢4が不適当だから存在しないということなのでしょうけれども、いまだに腑に落ちてません。