言語記号の性質について
ソシュールは、言語記号は概念(concept)と聴覚イメージ(image acoustique)の二つの要素からなると考えました。聴覚イメージは下図のラテン語 arbos や equus などのいわゆる表現、または言語形式を指します。これらはソシュールいわく、物理的な音声ではなく、心理的な音声の刻印であるとされています。概念は聴覚イメージが指し示すものであり、いわゆる意味のことです。

概念と聴覚イメージは、ソシュールによってそれぞれシニフィエ(signifié:所記)、シニフィアン(signifiant:能記)と呼び変えられています。シニフィエもシニフィアンも signifier(意味する)という動詞から作られていて、シニフィエは「意味されるもの」、シニフィアンは「意味するもの」という意味を持ちます。この二つの要素はかたく結ばれていて切り離すことはできません。例として、ラテン語の arbos(シニフィアン)は、ある一時点の言語状態において”木”という概念(シニフィエ)を指す専用の言語形式であり、その他の概念を指すことはないからです。
そして、シニフィエとシニフィアンが結合したものは言語記号、あるいは記号(signe:シーニュ)と呼ばれています。

ソシュールいわく、上述の記号には恣意性(arbitraire)と線条性(linearite)という2つの性質があります。
恣意性(arbitraire)
記号内部において、シニフィエとシニフィアンの間には自然な結びつきがないことを恣意性(arbitraire)と言います。例えば、日本語のシニフィエ「猫」という概念は、そのシニフィアンの役割を担う言語形式 neko とは何の関係もなく、その結びつきは根底的に恣意的。シニフィアンは neko でなければならない理由はなく、別に heni とか sumi とかだったとしても問題ありません。その証拠として、諸言語ではシニフィエ「猫」と結びつくシニフィアンが様々な言語形式で表されていますし、また世界に諸言語が存在すること自体がその証拠とも言えます。

シニフィエと結びつくシニフィアンが恣意的だからといって、誰かが自由にそれを選択できるというわけではないです。今日まで neko と呼んでいたものを明日から heni と呼ぶように変えるのは不可能なように、一旦成立した記号に対しては個人でも社会全体でもそれを変更することはできません。ここでいう恣意性はシニフィアンがシニフィエに対して恣意的ということなので、言い換えればシニフィエとシニフィアンは無縁(immotive)である、ということです。
擬音語や感嘆詞は諸言語で似た言語形式で表されることが多いので、シニフィエとシニフィアンの間の恣意性を否定する武器になるかもしれませんが、それでも多少恣意的なので、諸言語で完全に同じシニフィアンが結びつくことはありません。例えば猫の鳴き声は英語では Meow、ドイツ語では Miau、中国語では Miao ですが、それぞれ言語形式が似ているだけで厳密には異なっています。
線条性(linearite)
音声言語のシニフィアンは拡がりを持っていて、その拡がりは一次元的なものに限られる性質を持っています。この性質を線条性(linearite)と言います。噛み砕いて言うと… 人間は一つひとつの音を順番に発して連鎖を作り、聴覚的なシニフィアンを作ります。発声器官の構造上、同時に複数の音を発音することはできないので、時間に沿って音を並べることでシニフィアンも並びます。つまり、シニフィアンは時間という唯一の次元の中で線条に展開する性質を持っています。これが線条性です。(一方、海上信号などの視覚的なシニフィアンは複数の次元の上で展開する性質を持っています。)
※線条性により、一次元の空間の拡がりで表現される複雑さを持つ文法規則が生まれていると思われます。例えば、日本語では名詞に「で」を後置して場所を表しますが、中国語では名詞に「在」を前置して場所を表します。側置詞が名詞の前か後ろかに限られるのは線条性によるものです。
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール(著)・小林英夫(訳)(1940)『一般言語学講義』岩波書店
フェルディナン・ド・ソシュール(著)・影浦峡(訳)・田中久美子(訳)(2007)『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』東京大学出版会
丸山圭三郎(1985)『ソシュール小事典』276-277,292,306頁.大修館書店

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