6月8日(土)から音声学の短期講座がはじまります。

言語転移とは?

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言語転移(language transfer)

 今持っている知識や既に身につけた技能が、他の新しい知識や技能を学習する際に影響を与えることを転移(transfer)と言います。野球をする人はゴルフもうまかったり、将棋をする人はチェスも強かったりしますが、それはテニスで身につけた技能がバドミントンをする際に役立ち、また将棋を通して身につけた技能がチェスにも生かされたりしてその習得が早められているからです。こうした転移は第二言語を習得するときにも起こり、第二言語習得における転移を特に言語転移(language transfer)と呼びます。(単に「転移」と呼んだりもします)

 言語転移(language transfer)とは、「学習者の母語(または既習の言語)が第二言語(または次に学習する言語)を習得する場合に何らかの影響を与えること」(迫田 2002:29)です。例えば、中国語母語話者が日本語を学習するとき、中国語にある漢字の知識を用いることでおおむね日本語の漢字学習が容易になります。しかし、漢字の知識が利用できるとはいっても、「转」と「転」、「爱」と「愛」のように字形の細部が異なる組み合わせもあり、また漢字が同じでも意味が異なる例もあるので、中国語の知識を用いることで誤用を産出する場合もあります。

 (1) 结束(jié shù) :終わる
     結束(けっそく):ばらばらのものを一つにまとめる、まとまる
 (2) 清楚(qīng chu):はっきりしている
     清楚(せいそ) :清潔感がある
 (3) 经理(jīng lǐ) :管理職
     経理(けいり) :会計職

 このように、転移には母語の知識を用いることによって第二言語の習得にプラスの影響を与える場合と、かえってマイナスの影響を与える場合があります。プラスの影響を与えることを正の転移(positive transfer)、マイナスの影響を与えることを負の転移(negative transfer)と言います。言語転移は一般に母語が第二言語の習得に影響を与えることを指しますが、転移は母語からの転移だけではありません。第二言語の後にさらに別の外国語を学ぶときは第二言語が転移することもあります。いずれの場合においても、言語間の距離が近ければ転移そのものが多くなる傾向があります。

正の転移(positive transfer)

 正の転移(positive transfer)とは、学習者の母語が第二言語を習得する場合にプラスの影響を与えることです。

 (4) 名前 /namae/ (中国語母語話者の発話例)
 (5) 優越感がある (中国語母語話者の発話例)
 (6) 大器晚成   (中国語母語話者の発話例)

 中国語母語話者が「なまえ」と正確に発音できるのは中国語にも音素 /n,a,m,e/ があるからで、「優越感」や「大器晚成」という語彙を容易に用いることができるのは中国語にも同じ語彙が存在するからです。母語と第二言語の距離が近いほど正の転移は起こりやすく、全体として学習が容易になります。正の転移は誤用ではないので一般に目立ちにくいですが、目立たないだけでたくさん生じています。

負の転移(negative transfer)

 負の転移(negative transfer)とは、学習者の母語が第二言語を習得する場合にマイナスの影響を与えることです。

 (7) スーパに行きます (中国語母語話者の発話例)
 (8) 薬を食べる    (中国語母語話者の発話例)
 (9) 生死観      (中国語母語話者の発話例)

 中国語母語話者は「スーパー」を「スパ」や「スーパ」と発音することがあります。日本語の長音にあたる音が中国語にはないため、学習初期の段階ではその習得にてこずる学習者がいます。また、中国語の「吃药」や「生死观」をそのまま日本語に訳したことで「薬を食べる」や「生死観」と言うことも負の転移の例です。このように母語と異なる領域に母語の知識を利用して母語と同じように表現してしまう負の転移は、誤りや不自然な表現を生みます。

 母語と第二言語の距離が遠いほど負の転移は起こりやすく、全体として学習が困難になります。負の転移はしばしば誤りとして現れて目立つため、「母語は第二言語習得に悪い影響を与える」と考えられていた対照分析の時代では「母語の干渉」とネガティブな言い方で呼ばれていましたが、現在の第二言語習得の分野では用いられなくなってきています。

言語転移が起きる領域

 言語学習は音声、語彙、文法、語用など様々な領域に関わり、言語転移はこれら全ての領域で生じます。次の例は全て日本語母語話者の負の転移の例です。

 (10) thank を [sɑŋk] と発音する
 (11) 风强
 (12) I will marry with her.
 (13) 依頼をするときに「不好意思」「对不起」を多用する

 (10)thank の発音は [θæŋk] ですが、日本語には [θ] も [æ] も存在しない音なので学習初期の段階では正確に発音できないことが多いです。したがって thank を発音する場面では、これらの音に近くかつ日本語にもある音声の [s] と [ɑ] を代用し [sɑŋk] と言うことがあります。これは音声の領域における負の転移です。(11)は「風が強い」という日本語の表現をそのまま中国語にした例ですが、中国語では通常「风大(風が大きい)」と言います。母語である日本語が語彙の領域で負の転移を生じさせた例です。(12)について、日本語の「結婚する」は自動詞であり、「私は彼と結婚します」のように結婚する相手を「と」で表します。この知識を利用して(12)のように発話すると誤りです。英語の marry は他動詞なので “I will marry her.” と言うべきです。これは文法領域に関する負の転移の例です。最後に(13)ですが、日本語では依頼をするとき、相手に迷惑をかけることという意識があるために「すみません」などの表現を多用します。しかし中国語の依頼場面ではそのような習慣がないため、(13)のような言語行動は中国語母語話者にとって不自然に感じられます。このような語用の領域における転移は語用論的転移(pragmatic transfer)と言います。

参考文献

 大関浩美(2010)『日本語を教えるための第二言語習得論入門』25-37頁.くろしお出版
 迫田久美子(2002)『日本語教育に生かす第二言語習得研究』29.120頁.アルク
 白井恭弘(2012)『英語教師のための第二言語習得論入門』3-4頁.大修館書店




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