格標示体系
他動詞構文(1a)における「男」と自動詞構文(1b)における「男」は一般に主語と呼ばれ、(1a)における「女」は直接目的語と呼ばれることがあり、日本語では、主語は他動詞構文、自動詞構文いずれにおいても「が」で表され、目的語は「を」で表されます。しかし、世界の諸言語には、日本語と同じように他動詞構文の主語と自動詞構文の主語を同じ格標識で表さないものがあり、(2)のように自動詞構文の主語が形態的、統語的に他動詞構文の直接目的語と同じような扱いをするもの等が見られます。
| 他動詞構文 | 自動詞構文 | |
|---|---|---|
| 日本語 | (1a)男-が 女-を 殺し-た。 | (1b)男-が 座っ-た。 |
| ワロコ゚語 | (2a)bama-nggo warrngo-Φ balga-n. | (2b)bama-Φ nyina-n. |
| 男-格標識 女-格標識 殺す-時制 | 男-格標識 座る-時制 |
例えば、オーストラリア クイーンズランド州のワロコ゚語では、他動詞構文の直接目的語にあたる名詞「warrngo(女)」と自動詞構文の主語にあたる名詞「bama(男)」が同じくゼロ格 Φ で表されており、日本語とは格標示体系が異なります(角田 2009: 34)。このことから、主語や直接目的語という術語は個別言語の記述には適用できても、諸言語の普遍性やその類型を議論するには適さないことが分かります。そこで言語類型論では、S、A、Pという術語を導入して世界の諸言語の格標示体系を捉えようとします。
S、A、P
諸言語の格標示体系を議論するために、自動詞構文における単一の項をS(Subject:主語)、「殺す」等のプロトタイプ的な他動的状況を表す他動詞構文における動作主をA(Agent:動作主)、その被動者をP(Patient:被動者)として、自動詞構文の主語、他動詞構文の主語、その直接目的語を均質に捉えようとします。ここでいうSは(4)の They 、Aは(3)の They 、Pは(3)の them を指します。日本語でいえば、自動詞構文において「が」で示される項がS、他動詞構文において「が」で示される項がA、「を」で示される項がPです。
(3) They killed them. 彼ら(A)は彼ら(P)を殺した。 <他動詞構文>
(4) They ran. 彼ら(S)は走った。 <自動詞構文>
このS、A、Pがどのように格標示されるかは、論理的に次の5種類に分けられます。(アラインメント)

一つ目はSとAを主格としてまとめ、P(対格)に対立させる対格型(主格・対格型:nominative-accusative)、二つ目はSとPを絶対格としてまとめ、A(能格)に対立させる能格型(能格・絶対格型:ergative absolutive)、三つ目はS、A、Pに対して全て同じ格標識をとる中立型(neutral)、四つ目はS、A、Pがそれぞれ全て異なる格標識をとる三分割型(tripartite)、五つ目はAとPをまとめ、Sに対立させる対格焦点型(他動詞文中和型:accusative-focus)です。対格型と能格型、中立型は世界の諸言語に広く見られますが、三分割型と対格焦点型は非常に稀です。
対格型(主格・対格型:nominative-accusative)

SとAが同じ格標識(主格:nominative)によって表され、Pはそれとは別の格標識(対格:accusative)で表す格標示体系を対格型(主格・対格型:nominative-accusative)といいます。このタイプはSとAが形態的・統語的に同じように扱われており、それらにPが対立しています。日本語にも英語にも対格型が見られます。
(5)a 彼が 虫を 殺した。
b 彼が 走った。
(6)a They killed them.
b They ran.
日本語の典型的な他動詞構文(5)を例にとると、(5a)の「彼(A)」と(5b)の「彼(S)」が同じ格標識「が」によって標示され、(5a)の「虫(P)」だけが別の格標識「を」で表されています。つまり、SとAが統語的に同じように扱われ、Pだけが対立しています。(6)においても、(6a)の They(A)と(6b)の They(S)は形態的に同一ですが、(6a)の them(P)は異なる形態となり対立しています。現代日本語は典型的な対格型です。
このようにSとAを同じように扱い、Pが区別されることを対格性(accusativity)といいます。
能格型(能格・絶対格型:ergative-absolutive)

SとPが同じ格標識(絶対格:absolutive case)によって表され、Aはそれとは別の格標識(能格:ergative)で表す格標識体系を能格型(能格・絶対格型:ergative absolutive)といいます。このタイプも対格型と同様に世界の諸言語に見られます。
(7)a bama-nggo warrngo-Φ balga-n. (男が女を殺した)
男-格標識 女-格標識 殺す-時制
b bama-Φ nyina-n. (男が座った)
男-格標識 座る-時制
この例は上述したワロコ゚語の例(角田 2009: 34)で、PとSがどちらもゼロ格 Φ で表されており、Aはそれとは別の -nggo で表されています。
このようにSとPを同じように扱い、Aが区別されることを能格性(ergativity)といいます。
中立型(neutral)

S、A、Pが同じ格標識をとり、それぞれを形態的・統語的に区別しない格標示体系を中立型(neutral)と言います。A(動作主)とP(被動者)は同じ他動詞構文内に現れる項であるため、AとPを同じように扱うことはどちらが動作主でどちらが被動者であるか曖昧性を生じさせる可能性があり、そのような場合はAとPを区別する語順などの手段を利用して曖昧性を解消する必要があります。こうした条件によって純粋な中立型体系の言語は成立しにくいと考えられています(リンゼイ J.ウェイリー 2006: 159)。
(8)a 田中さんΦ 佐藤さんΦ 殴った?
b 田中さんΦ 走った?
日本語には話し言葉において中立型が現れることがあります。例(8)を見ると、A(田中さん)、P(佐藤さん)、S(田中さん)のいずれもゼロ格 Φ で表されています。ただし、上述したように、AとPの格標示が同じ場合に曖昧性が生じる可能性があります。具体的には、(8a)は「田中さんが佐藤さんを殴った?」というのが一つの解釈ですが、「田中さんを佐藤さんが殴った?」の解釈もできてしまいます。この曖昧性が積極的に許容される純粋な中立型言語が成立するとは考えにくく、実際日本語でも(8)のような表現は話し言葉の一部に限られており、日本語全体に及ぶ格標示体系ではありません。
三分割型(tripartite)

S、A、Pがいずれも異なった格標識をとり、異なる形態的・統語的扱いを受ける格標示体系を三分割型(tripartite)と言います。純粋な三分割型の言語は世界的に見ると極めて珍しく稀ですが、オーストラリア原住民諸語では多く見られ、特にワンクマラ語が有名です(リンゼイ J.ウェイリー 2006: 158)。他動詞構文(8a)の「男(A)」は -ulu 、「雌犬(P)」は -nana、自動詞構文の「男(S)」は -ia で表されています。
(8)a Kana-ulu kalkana titi-nana (その男がその雌犬を殴った)
男-格標識 殴る 犬-格標識(女性)
b Kana-ia paluna (その男が死んだ)
男-格標識 死んだ
三分割型が極めて稀なのには機能的な理由があります。S、A、Pのうち、同一の他動詞構文に現れるAとPは形態的・統語的に区別しなければ曖昧性が生じるので区別する必要がありますが、自動詞構文は単一の項Sのみをとるため、他の項と区別して標示する必要はありません。したがってS、A、Pを全て区別するのは過剰で、過剰な機能を言語に持たせる三分割型は少ないと考えられます。
対格焦点型(他動詞文中和型:accusative-focus)

AとPをまとめて同じ格標識で表し、それとは別の格標識でSを表す格標示体系を対格焦点型(他動詞文中和型:accusative-focus)と言います。この体系は三分割型よりも珍しいです。
(9)a mu taa wunt. (私があなたを見た)
私 あなた 見た。
b taa mu wunt. (あなたが私を見た)
あなた 私 見た。
c az-um pa Xaragh sut. (私はホログへ行った)
私-代名詞 へ ホログ 行った
例えば(9)で挙げたロシャニ語の例(角田 2009: 36)では、他動詞構文(9a)のAと(9b)のPはどちらも mu(私) ですが、自動詞構文(9c)のSは az(私)となり形態的に異なります。
上述したように、S、A、Pのうち、自動詞構文は単一の項Sのみをとるので他の項と区別する必要はありませんが、同一の他動詞構文に現れるAとPは形態的・統語的に区別しなければ曖昧性が生じます。この曖昧性を解消するため、AとPを区別し、SをAと同じ格標識で表すことを選んだ場合は対格型、SをPと同じ格標識で表すことを選んだ場合は能格型になります。しかし、対格焦点型は曖昧性を解消するために区別するべきAとPを区別せず、区別する必要のない自動詞構文の単一の項Sをそれらと区別しています。対格焦点型の言語でAとPを区別する方法は形態的・統語的になく、文脈に依存しなければいけないので、機能の面で非常に非効率的で、言語の使用者に重い負担を課すことになります。対格焦点型が珍しいのはこのような機能的な理由があります。
参考文献
斎藤純男・田口善久・西村義樹編(2015)『明解言語学辞典』7-8,32-33,177-179頁.三省堂
角田太作(2009)『世界の言語と日本語 改訂版―言語類型論から見た日本語』31-40頁.くろしお出版
バーナード・コムリー(著)・松本克己(訳)・山本秀樹(訳)(2001)『言語普遍性と言語類型論: 統語論と形態論』119-147頁.ひつじ書房
リンゼイ J.ウェイリー(著)・大堀壽夫(訳)・古賀裕章(訳)・山泉実(訳)(2006)『言語類型論入門-言語の普遍性と多様性』78-80,155-160頁.岩波書店

コメント