代償延長(compensatory lengthening)
音素が消失したり、二つの音素が融合することに随伴し、失われた音素に隣接する母音を引き延ばす音変化を代償延長(compensatory lengthening)と言います。例えば口語で見られる形式「おめー」は、元々の語形「おまえ」の a と e が母音融合を起こして e になったあと、e を eː に長母音化したものです。このように長母音化するのには、元々の語の拍数を維持し、発音上のリズムを保つためと考えられます。「おまえ」と「おめ」では拍数が異なりますが、失われた音素の代償として隣接する母音を延長して「おめー」とすることで元々の語形と同じ3拍に調整されています。
(1) omɑe > omeː (おまえ → おめー)
(2) kɑkɑmɯ > kɑkɑɯ > kɑkoː (書かむ → 書かう → 書こう)
(3) sorehɑ > soɾʲɑː / soraː (それは → そりゃー / そらー)
代償延長は日本語などのモーラ言語に多くみられる現象です。なぜならモーラ言語においては、特定の音素が消失することは語の拍数が減ることを意味するからで、減った拍数をもとに戻すために長母音化の必要が出てきています。

古典ギリシャ語における代償延長
| 巨人(男性) | ||
|---|---|---|
| 複数 | 主格 | γίγαντες |
| 対格 | γίγαντας | |
| 属格 | γίγάντων | |
| 与格 | γίγᾱσι(ν) | |
古典ギリシャ語の巨人を表す γίγᾱς の語形変化を見ると、複数形ではその語幹 γίγαντ- に格標識となる接尾辞をつけて格標示します。主格は -ες 、対格は -ας、属格は -ων、与格は -σι です。しかし、与格だけ ντ が欠けて、前節する母音が他とは異なり長音化した ᾱ になっていることに注目してください。古典ギリシャ語では語幹末の ντ に σ が後接すると ντ が脱落しますが、その代償として ντ に前接していた母音が長音化して ᾱ となり、代償延長が生じています(堀川 2021: 85-86)。古典ギリシャ語も日本語と同様にモーラ言語です(窪薗 1998: 5)。
参考文献
亀井孝(著)・河野六郎(著)・千野栄一(著)(1996)『言語学大辞典 第6巻』873頁.三省堂
窪薗晴夫(1998)「モーラと音節の普遍性」『音声研究』第2巻第1号,5-15頁
窪薗晴夫(1999)『現代言語学入門 2 日本語の音声』182-184頁.岩波書店
堀川宏(2021)『しっかり学ぶ初級古典ギリシャ語』85-86頁.ベレ出版

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