令和元年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅰ 問題3D解説
(16)認識的モダリティ
認識的モダリティの前に、まずモダリティについて知らないといけません。
モダリティは、命題に対する認識や判断や聞き手に対する態度を表すものを指します。例えば、「彼はもう戻ってこないかもしれないね」の「かもしれない」は、話し手が命題「彼はもう戻ってこない」という事態の実現可能性に言及し、主観的な心的態度を表しているモダリティ表現です。終助詞「ね」も話し手の聞き手に対する態度を表しているのでこれもまたモダリティです。簡単にいうと、話者の気持ちが含まれているのがモダリティと覚えればいいと思います。
そして認識的モダリティは、話し手の事態に対する認識的な判断や捉え方を示すモダリティのことです。命題の事態が事実であれば「雨が降ってきた」と断定のモダリティ形式を用い、命題の事態の真偽について確信的であれば「雨が降ってきたはずだ」、想像にとどまれば「雨が降ってきただろう」、疑問があれば「雨が降ってきたか」などと言うように、話し手は命題の事態の確からしさをことばの上で描写します。このような種類のモダリティを認識的モダリティと言います。
ここまで来てようやくこの問題が解けますね。
1 「べきだ」は行動を拘束する働きがあるので拘束的モダリティ
2 この「のだ」は行動を許可する働きがあるので拘束的モダリティ
3 「なさい」は命令形で主語の行動を拘束する働きがあるので拘束的モダリティ
4 この「まい」は否定推量(~ないだろう)を表し、可能性に関する判断をしているから認識的モダリティ
拘束的モダリティについては後述します。
答えは4です。
(17)確信を表す認識的モダリティ
確信を表す「に違いない」と「はずだ」の違いに関する問いです。次のような例文で検討してみましょう。
(1) 〇全然電話に出ない。浮気しているに違いない。
(2) ?全然電話に出ない。浮気しているはずだ。
(1)(2)の例は全然電話に出ないという状況から「浮気している」と確信している文です。私の内省では、「に違いない」を使っている(1)は自然ですが、「はずだ」を使っている(2)は不自然です。電話に出ないだけで浮気をしていると判断するのはやや証拠が少ない感じがします。ここから分かることは、「に違いない」は論理性を欠いても使えるのに対し、「はずだ」は論理性が欠いていたら使えないということです。
(3) 〇女性の髪の毛が落ちている。浮気しているに違いない。
(4) 〇女性の髪の毛が落ちている。浮気しているはずだ。
「浮気している」と確信するに足る強めの証拠として「女性の髪の毛が落ちている」という状況に変更したのが(3)(4)です。私の内省では(3)(4)どちらも自然。あるはずのない女性の髪の毛が落ちていることから女性がこの部屋に立ち入ったのは確定的で、これこそ本当の確信と言ってもいいくらいの状況です。「に違いない」も「はずだ」も論理性が担保された状況における確信には使えることが分かりました。
これをまとめると次のようになります。
「に違いない」 | 「はずだ」 | |
---|---|---|
論理性を欠いた確信(直感) | 〇 | ✕ |
論理性が担保された確信(論理) | 〇 | 〇 |
論理性を欠いた確信が問題でいう「直感」で、論理性が担保された確信が「論理」にあたります。
したがって答えは2です。
(18)モダリティに呼応する副詞
「述部の認識的モダリティに対して働く副詞」とありますので、下線部と述部にあるはずの認識的モダリティを見てみます。
選択肢1
述部には認識的モダリティ「だろう」があります。下線部「めったに」との関係を見ると…
「めったに」は後件に否定形が呼応して「めったに~ない」の形を取ります。「めったに」は述部の「ない」に対して働いているので、「だろう」とは関係ありません。この選択肢は不適当なので答えはこれ。
選択肢2
述部にある認識的モダリティ「らしい」に対して「どうやら」が呼応しています。
「どうやら~らしい」「どうやら~みたいだ」「どうやら~ようだ」など、この2つはよく呼応します。
これは適当。
選択肢3
下線部「まさか」は「だろうか」「かもしれない」などの認識的モダリティが呼応することが多いです。この文ではたまたま述部にそれらが呼応しなかっただけ。「まさか」は述部に対する働きかけを持っていると考えるのが自然です。
これは適当。
選択肢4
この文にも目に見える形の認識的モダリティはありませんが、「きっと」は後件に「はずだ」「に違いない」などの認識的モダリティが呼応することがあります。「きっと」は述部に対する働きかけを持っていますが、この例文ではたまたま働きが表に現れなかっただけです。
これは適当。
なので答えは1です。
(19)拘束的モダリティ
拘束的モダリティは、命題が表す事態の実現が義務的で必要性が高いかどうかに関する話し手の評価的な捉え方を表すモダリティです。意味的に見ると、必要、不必要、許可、不許可の4つに分類され、それぞれ「~ほうがいい」「~なくてもいい」「~てもいい」「~てはいけない」などのモダリティ形式が現れます。これらは主語に与えられた拘束と非拘束を表すので拘束的モダリティと呼ばれます。。
選択肢1
拘束的モダリティは「あなたは~したほうがいい」などと聞き手への要求を表すこともできますし、「(私たちは)~すべきだ」のように話し手自身の行為の意向も表すことができます。この選択肢は間違い。
選択肢2
正しいです。「したほうがいい」「するほうがいい」のように、拘束的モダリティ「ほうがいい」の前がル形であろうとタ形であろうと意味は変わりません。ル形とタ形の対立が生じるのは「したほうがいい」「したほうがよかった」と拘束的モダリティ自体がル形、タ形になった場合です。
選択肢3
この選択肢をよく読むと、認識的モダリティの後ろに拘束的モダリティがあると言ってます。しかしそんな言い方ある?
「~したほうがいいらしい」だったら拘束的モダリティ「ほうがいい」の後に認識的モダリティ「らしい」が後続してます。これを逆にして「~したらしいほうがいい」みたいなことは言えません。この選択肢は誤りです。
選択肢4
「私たちは~しなければならない」のように一人称(複数)でも使えるし、「君たちは~しなければならない」のように二人称(複数)でも使える。「彼らは~しなければならない」のように三人称(複数)でも使える。拘束的モダリティを用いる場合に人称制限はなさそう。この選択肢は間違い。
したがって答えは2です。
(20)必要と許可を表す拘束的モダリティ
(1) 宿題をしなくてはいけない (必要)
(2) 宿題はしなくてもいい (許可)
「なくてはいけない」は必要、「てもいい」は許可を表します。文章中の ウ 、 エ に入れるものとして適当。
答えは4です。
コメント
コメント一覧 (1件)
問題3-D-(19)について質問させてください。この例で、私は「拘束的モダリティ」=「ほうが良い」と理解しており、「モダリティ形式の前のル形とタ形のテンスの対立を持たない(ル形・タ形、どちらでも時制は変わらない)」という選択肢が正しいことは理解しました。一方で、先生の解説文の後半では「拘束的モダリティ自体のル形・タ形が異なると対立が生じる」とあります。私は、前に述べたように「拘束的モダリティ=ほうが良い」と理解しているので「拘束的モダリティ自体の異なり(ル形・タ形)」という意味が分かりません(拘束的モダリティは「ほうが良い」なので「拘束的モダリティ自体のタ形・ル形」とは何か?が分からない)。ちなみに私は「拘束的モダリティの前の語形(ル形・タ形)が変わったことによる影響は、モダリティ形式の前ではなく、モダリティ形式の後方で生じる(するほうが良い・した方がよかった)」と理解しているのですが、いかがでしょうか? いつも回りくどい文章の質問ですみません。