モダリティとは?

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モダリティ(modality)

 私たちは、雨が降ったり、事故が起きたり、料理がおいしかったりと常にいろんな事態(事象や事柄とも)と関わりを持ち、それらを言語を用いて表す言語活動をします。空から雨粒が落ちてきたら「雨が降ってきた」と言い、目の前で車同士が衝突したら「事故が起きた」と言うように。しかし、言語で表される意味内容は事態を客観的に描写するだけでなく、話し手の事態に対する捉え方話し手の聞き手に対する伝達的態度の主観的な意味内容も含まれます。

 「雨が降ってきた」を例にして考えてみましょう。

 (1) 雨が降ってきた。       <断定>
 (2) 雨が降ってきたかもしれない。 <不確か>
 (3) 雨が降ってきた。      <疑問>
 (4) 雨が降ってきた。      <同意要求>

 (1)はただ空から雨粒が落ちてきた事態を描写しているだけでなく、事態に対する話し手の「断定」という捉え方が表されています。(2)は「かもしれない」が付加されることによって話し手の「事態の成立が不確かである」という捉え方が表されています。同様に(3)は「か」によって話し手の疑問、(4)は「ね」によって話し手の同意要求が表されています。全て「雨が降ってきた」という共通した客観的事態を中核にして述べていますが、それらに様々な形式を付加したりしなかったりすることで話し手の主観が加えられ、述べ方が変わっています。
 このように、たんに事態の真偽に言及するのではなく、その事態に対する話し手の発話時点での捉え方や聞き手への態度を表す意味論的な文法カテゴリーモダリティ(modality)と言います。

命題とモダリティ

 言語表現において、客観的な事態を表した部分を命題(proposition)といい、命題をめぐる話し手の捉え方や聞き手に対する伝達的態度を表した部分モダリティ形式(モダリティ表現)と言います。上記の例でいうと、「雨が降ってきた」が命題部分にあたり、後接する形式「かもしれない」「か」「ね」などがモダリティ形式です。命題にはヴォイス、アスペクト、肯否、テンスなどの文法カテゴリーが含まれ、日本語ではこれらにモダリティ形式が後続する形で文が構成されます。

 (5) 今年はまだ蚊に刺されていない

 例(5)の命題部分は「今年はまだ蚊に刺されていない」で、うち、動詞「刺す」に後続する「-are-」がヴォイス形式、「-tei-」がアスペクト形式、「-na-」が肯否形式、「-i-」がテンス形式です。それらに後接する形で現れる文末の「の」は話し手の聞き手に対する伝達態度<疑問>を表すモダリティ形式です。
 原則としてどのような文も命題とモダリティから構成されているので、(1)のような無標のモダリティも存在すると考えます。

モダリティとムード

 (6) どうしても会いたい
 (7) たぶん怪我をしたかもしれない
 (8) どうぞ食べてください

 命題の述語に後接するモダリティ形式だけが話し手の主観を表すわけではなく、一部の副詞が述語のモダリティ形式に呼応する形でその機能を果たすことがあります。例えば(6)の「どうしても」は述語の<願望>を表すモダリティ形式「たい」に呼応して話し手の心的態度を表しています。(7)の「たぶん」、(8)の「どうぞ」も同様です。
 述語のモダリティ形式とそれに呼応する副詞は、狭義においてモダリティとムードという用語で区別されることがあります。モダリティはこれらの副詞と述語のモダリティ形式をひとまとめにして指した文レベルの意味論的な概念で、ムード(mood)は述語の語形変化(日本語でいう、いわゆる活用)にかかわる単語レベルの形態論的な概念を指します。(ただし、特に断りがなければいずれもモダリティ形式と呼ばれることが多いように感じます。)

モダリティ形式の分類

 モダリティには様々な分類がありますが、ここでは以下のように分類します。

                  ┏ 認識的モダリティ
       ┏ 対事的モダリティ ┫
 モダリティ ┫          ┗ 拘束的モダリティ
       ┗ 対人的モダリティ

 モダリティは、話し手の命題に対する捉え方を表す対事的モダリティと、話し手の聞き手に対する伝達的態度を表す対人的モダリティに分けられます。上述の例(1)(2)は命題「雨が降ってきた」に対する話し手の捉え方として、(1)は<断定>を表し、(2)は<不確か>を表す対事的モダリティの形式が付加されています。一方、例(3)(4)は命題「雨が降ってきた」に対する話し手の捉え方は表されておらず、いずれも話し手の聞き手に対する<疑問>や<同意要求>といった伝達的態度を表す対人的モダリティ形式「か」「ね」が付加されています。

 対事的モダリティはさらに認識的モダリティと拘束的モダリティに分けられます。
 (仁田(2000)は対事的モダリティを「命題めあてのモダリティ」、対人的モダリティを「発話・伝達のモダリティ」、認識的モダリティを「認識のモダリティ」、拘束的モダリティを「当為評価のモダリティ」を呼んでいるようです。)

認識的モダリティ(epistemic modality)

 認識的モダリティとは、命題が表す事態成立に対する話し手の認識的な捉え方を表すモダリティです。

 (9) その店はもうすぐ潰れる。
 (10) その店はもうすぐ潰れるはずだ
 (11) その店はもうすぐ潰れるだろう
 (12) その店はもうすぐ潰れるかもしれない
 (13) その店はもうすぐ潰れるようだ
 (14) その店はもうすぐ潰れるそうだ
 (15) その店はもうすぐ潰れそうだ
 (16) その店はもうすぐ潰れるのかなあ

 これらの例文は、共通する命題「その店はもうすぐ潰れる」という事態が成立するかどうかに対し、述語の動詞「潰れる」に後続するモダリティ形式によって話し手の認識的な捉え方が表し分けられています。(9)では話し手がそれを確かなものとして捉え、(10)では根拠に基づいた確信として捉え、(11)や(12)では推測によって事態が成立する可能性があるものと捉えています。話し手がそれを事実として認識していれば断定の形式(です、ます等)で述べられますが、事実として確定していない事柄は、ある根拠に基づいて捉えたり、想像や推測で捉えたり、あるいは事態の成立事態を疑ったりと様々な認識的な捉え方が現れます。情報をどのようにして得たかによってもモダリティ形式は変わり、他者から取り入れた情報をもとにして述べる場合は(13)(14)のように、「ようだ」「らしい」「みたい」などの<推定>、<伝聞>の「そうだ」を用い、何らかの<兆候>を感じ取るなどした場合は(15)のように言います。

拘束的モダリティ(deontic modality)

 拘束的モダリティは命題が表す事態に対して、その成立が義務的で必要性を有しているかどうか、あるいは事態成立が認められているかどうかについての話し手の評価を表すモダリティです。

 (13) 出席しなければならない
 (14) 出席するべきだ
 (15) 常に謙虚であらねばならない
 (16) 常に謙虚であるべきだ

 (13)(14)のように意志的な動詞に「なければならない」「べきだ」等を用いると、命題「出席する」という事態の成立が主体によって実現される義務や必要性があることを述べる言い方になり、(15)(16)のように無意志的な動詞に用いると、命題の事態が論理的な妥当性を有し、事態の実現が必然的であるという話し手の評価を表す述べ方になります。主体に事態を成立させる義務があまりなく必要性も高くないような場合は「なくてもいい」「ことはない」などのモダリティ形式が現れ、<不必要>の意味合いを表します。

 <必要>なくてはならない、べきだ、ほうがいい、ものだ、することだ、ざるを得ない、ないわけにはいかない、しかない…
 <不必要>なくてもいい、ことはない…

 (17) 出席してもいい
 (18) 出席してはいけない
 (19) おふざけはあってもいい
 (20) おふざけはあってはいけない

 「てもいい」「てはいけない」などを用いると、主体が命題の事態成立することを勧めたり、命題の事態成立を許可するといった意味が現れます。

参考文献

 澤田治美(2006)『モダリティ』開拓者
 宮崎和人・安達太郎・野田春美・高梨信乃(2002)『モダリティ』くろしお出版
 森山卓郎・仁田義雄・工藤浩(2000)『日本語の文法3 モダリティ』岩波書店




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