規範と記述について
記述文法と規範文法
物理学者は物の落下に法則を見出し、仮説を立て、仮説が正しいかどうかを検証するために様々な物の落下を観察してきました。そのようして全ての物の落下に当てはまる法則を記述しようとします。自然現象を記述するとはこのようなことで物理学の例を挙げると分かりやすいです。しかし、意外と見落としがちですが、言語も物理と同じく自然現象です。言語を観察して法則を見出し、仮説を立て、その仮説が他の言語や場面にも見られるかどうか検証して言語を記述しようとします。自然現象としての言語(自然言語:natural language)のありのままの姿をそのまま記述し、なぜそうなるのかを考察するのが言語学者の仕事です。ありのままの姿を記述しただけであって、その中には何の主観も含まれていません。また、当たり前ですが、ことばが変われば記述する文法も変わります。言語学者はそれさえもなぜ変わったのかを考察するだけです。言語学者が研究対象とするこうした自然言語の文法を記述文法(descriptive grammar)と言います。
これに対して、世界の国々には国語のあるべき姿を説き、人為的にコントロールしようとする国の組織のようなものがあります。ここでいう「あるべき姿」は言語に対して「正しい」「正しくない」といった判断基準が用いられたものであり、主観が含まれています。そのようなあるべき姿の文法を規範文法(prescriptive grammar)と言います。学校教育などではことばの正しい使い方を教える必要があるため、指導する文法は規範文法です。学校で用いられることから学校文法と呼ばれることもあります。言語は常に変化しているので、規範文法はありのままの姿を記述する記述文法よりも時勢に遅れ、保守的です。
記述主義と規範主義
現代言語学は自然言語のありのままの姿を記述し、そこに主観を持ち込むべきではないという記述主義(descriptivism)の立場をとっています。それに対し、あるべき姿の文法に対して「正しい」「美しい」、そうではないことばに対して「正しくない」「美しくない」と否定的に捉え正そうとしたりするなどの価値判断を持ち込む立場を規範主義(prescriptivism)と言い、主に言語教育などで採用される立場です。
規範主義ではことばの変化を「ことばの乱れ」と捉えます。正しいとする文法の存在を基準として、それからかけ離れているものは「正しくない」「乱れている」といった判断を行います。しかし、記述主義にはそうした「ことばの乱れ」という価値判断を伴った考え方は存在しません。ことばの変化によって複数の文法が存在するような場面においても、どれか一つが正しいと考えることもありません。したがって記述主義ではこれを「ことばの揺れ」などと表現して価値判断が含まれない言い方をすることがあります。
まとめ
記述主義 | 規範主義 |
---|---|
言語のありのままの姿を規定する 実際に使われていることばが記述する文法となる ことばが文法を規定する ことばが変われば記述される文法も変わる 言語に対するいかなる価値判断も存在しない |
言語のあるべき姿を規定する あるべき姿の文法が実際に使われることばとなる 文法がことばを規定する ことばが変わればそれを「乱れ」と捉える 言語に対して「正しい」「正しくない」などの価値判断が存在する |
参考文献
郡司隆男・坂本勉(1999)『言語学の方法(現代言語学入門1)』10-12頁.岩波書店
窪薗晴夫(2019)『よくわかる言語学』112頁.ミネルヴァ書房
松井千枝(2023)『英語学概論』7-8頁.朝日出版社
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