日本語Q&A
質問者さん(中国)
管理人
「~に~が来る」の典型的な例文
なぜ「に」を使うかという話をするためにいったん構文全体を見てみます。「弟に反抗期が来た」は「~に~が来た」という構文をとっています。この構文を使う他の例文を考えてみると、次のような典型的な例文が思い浮かびます。
(1) 庭に猫が来た。
(2) 目の前にボールが来た。
この構文の述語に置かれている動詞「来る」は移動の主体を「が」で表し、移動の到着点を「に」で示すタイプの移動動詞で、「~が~に」もしくは「~に~が」の形をとります。ニ格名詞に注目すると、(1)(2)では「庭」「目の前」といったいわゆる場所性の高い名詞で、これらは述語の<移動の到着点>という意味役割を持っています。また、ガ格名詞の「猫」は自分の意志で脚を使って空間移動でき、「ボール」はそれはできないけど力が加われば空間移動できることから、空間的に移動できるものを表す名詞と呼べそうなものです。これらは述語の<移動の主体>にあたります。以上から、「~に~が来る」構文は典型的には空間的な移動を表し、ニ格で示される名詞は物理的な空間を表す名詞、ガ格で示される名詞はその空間を物理的に移動できるようなものを表す名詞であることが分かります。
「弟に反抗期が来た」は比喩的な用法
例文(3)(4)は(1)(2)と同じく「~に~が来る」という構文をとっていますが、ニ格名詞「弟」「人生」は場所とか物理的な空間を表す名詞とは呼べないし、ガ格名詞の「反抗期」「春」も抽象的な概念で実体がないので空間移動できるものとは呼べません。
(3) 弟に反抗期が来た。
(4) 人生に春が来た。
でもこれらはただの比喩です。「~に~が来る」構文のガ格名詞の位置に置かれた名詞「反抗期」「春」は、まるで猫のように、脚があって自分で歩いて移動するかのような存在に喩えられ(隠喩の一種の擬人法)、ガ格名詞「弟」「人生」はその移動の到着点として扱われています。「反抗期」「春」は「弟」「人生」において一時的なものなので、それが向こうからやってきて通り過ぎていくという認識ができるのだと思います。
なので、「弟に反抗期が来た」はなぜ「に」を使うかというと、「弟」を抽象的な移動の到着点に喩えているからです。

コメント