日本語Q&A
質問者さん(中国)
管理人
「友達」をどう分析するかによる
「お母さん」などの語は複数接辞をつけなければ単数だけを表し、複数接辞をつければ複数だけを表すんですが、中には複数接辞をつけなくても複数を表せる「学生」のような例もあります。
(1) あそこに学生がいる。 <単数も複数も>
(2) あそこに友達がいる。 <単数も複数も>
「学生」という語形は単数を指すこともできますが、複数接辞はついていないのに複数の学生を指すこともできます(複数接辞をつけて「学生たち」と言えば複数のみを表すこともできる)。こういう語は単数と複数の対立が中和しているとか言ったりするんですが、「友達」もおそらく単複の対立が中和する例です。広辞苑第六版の「友達」の項目には『元来複数にいうが、現在は一人の場合にも用いる』とあるので、やっぱり「友達」という語形で単複両方表せるようですね。
「友達」が「友」と「達」に分析できると感じる人にとっては、すでに複数接辞「達」が含まれる「友達」に、さらに複数接辞「たち」をつけることに違和感を感じるかもしれません。『元来複数にいうが』とは、かつて単数を表す「友」に複数接辞「達」をつけた頃の感覚だと思います。でも、「友達」という言葉がひとまとまりで習慣的に使われるようになってきて「友達」をこれ以上分けることができない一つの語であると分析するようになると、それに「たち」をつけて「友達たち」としても複数の意味の重複をそれほど感じないかもしれません。
単複の対立が中和している「友達」は、現代では「たち」をつけなくても複数を表せます。だから「たち」は本来不要です。ただし、「友達たち」が正しいのか正しくないのかはどのように形態素分析するかにもよるので、どっちが正しいかは一概には言えないというのが結論です。
参考文献
『広辞苑 第六版』岩波書店

コメント