日本語Q&A
質問者さん(中国)
管理人
「見れる」と「見える」、「聞ける」と「聞こえる」
色々言い方があるのでまず整理しますと…
「見る」の可能形は「見られる」です。そのら抜き言葉にあたる形式が「見れる」です。
「見える」は「見る」と語幹が違うので別物という見方もありますが、ここでは寺村(1982)にしたがい、「見える」は「見る」の自発形とします。同様に、「聞く」の可能形は「聞ける」、「聞こえる」は「聞く」の自発形です。
(視力検査、聴力検査をするとき)
(1) *これ、見(ら)れますか? (可能形)
(2) これ、見えますか? (自発形)
(3) *これ、聞けますか? (可能形)
(4) これ、聞こえますか? (自発形)
(彼女のことを回想して)
(5) 彼女の笑顔はもう見(ら)れない。(可能形)
(6) *彼女の笑顔はもう見えない。 (自発形)
(7) 彼女の声はもう聞けない。 (可能形)
(8) *彼女の声はもう聞こえない。 (自発形)
このように可能形「見(ら)れる」「聞ける」も、自発形「見える」「聞こえる」も可能の意味を表せますが、可能形「見られる/見れる」「聞ける」は可能な状態が発話現場を離れて一般に存在することを表し、自発形「見える」「聞こえる」は発話現場において視覚的・聴覚的に捉えることが可能であることを表します。視力検査や聴力検査のような発話現場においての可能を聞く場合は(2)(4)のように言うのが普通です。また、発話現場から離れて可能かどうかを述べる場合は(5)(7)のように言うのが普通です。
可能形も自発形も使えるような場合は2つの解釈が可能です。
(9) ここなら花火が見(ら)れる。 (可能形)
(10) ここなら花火が見える。 (自発形)
可能形を用いた(9)は発話現場から離れて可能な状態が存在することを表すので、今まさに花火があがっているとも限らないし、花火大会当日とも限りません。自発形を用いた(10)は今まさに花火があがっていたり、花火大会当日であって、そこなら視覚的に花火を捉えることが可能だ、という意味です。
参考文献
寺村秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』276-277頁.くろしお出版
コメント
コメント一覧 (2件)
「発話現場から離れて可能かどうかを述べる場合は(5)(6)のように言うのが普通です」
ここは5、7で言うのが普通ではないですか。打ち間違いでしょうか。
>しんさん
失礼しました。ご指摘のとおり(5)(7)です。
修正します。ありがとうございました。