共感覚表現
私たちは外界の事象を目、耳、鼻、舌、皮膚の五官を通じて視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を感知します。例えば「大きい」や「広い」は視覚、「うるさい」「静か」は聴覚、「臭い」「匂う」は嗅覚、「おいしい」「まずい」は味覚、「寒い」「暑い」は触覚ですね。自分の目でクジラを見て「大きい」と言うときは視覚情報に対して視覚的な表現を使ってるけど、「大きい音」と言うときは聴覚情報の「音」に対して視覚表現「大きい」を使っています。視覚情報には視覚表現を、聴覚情報には聴覚表現を使わなければいけないというわけじゃない、必ずしも本来の感覚領域にとどまった表現をするとも限りません。
複数の五感の中で表現を貸し借りするレトリックの技法を共感覚法(synesthesia)と言い、共感覚法で生み出された表現を共感覚表現と言います。ここでいう「大きい音」がそうです。
共感覚と原感覚
(1) 大きい音
(2) 暖かい色
共感覚表現は五感の間で表現を貸し借りしています。例文(1)の「大きい」は視覚表現で、これが聴覚情報の「音」に表現を貸しています。例文(2)の「暖かい」は触覚表現で、これが視覚情報の「色」に表現を貸しています。このとき、表現を貸す側である「大きい」や「暖かい」は共感覚、表現を借りる側である「音」や「色」は原感覚と言います。共感覚表現における表現の貸借関係は必ず共感覚から原感覚へ向かいます。そして、実際に人間が感じる感覚は原感覚です。
五感から2つの感覚を選んで表現を貸し借りするわけだからその貸借関係は20通り(5P2)あり、瀬戸(2005: 32-33)はそれら全部パターンについて次の共感覚表現を挙げています。また、嗅覚から触覚への貸借例は確実な例がいまなお見つかっていないとも述べています。
共感覚→原感覚 | 例 | |
---|---|---|
視覚→ | 聴覚 | 明るい声 |
嗅覚 | 澄んだ香り | |
味覚 | 厚みのある味 | |
触覚 | 濃いねばり | |
聴覚→ | 視覚 | やかましい柄 |
嗅覚 | 静かな香り | |
味覚 | にぎやかな味 | |
触覚 | うるさい痛み | |
嗅覚→ | 視覚 | 香しい色遣い |
聴覚 | バタ臭い響き | |
味覚 | 香ばしい旨味 | |
触覚 | ? | |
味覚→ | 視覚 | 渋い柄 |
聴覚 | 甘い声 | |
嗅覚 | 甘い香り | |
触覚 | 甘い質感 | |
触覚→ | 視覚 | 温かい色 |
聴覚 | ざらついた音 | |
嗅覚 | 柔かい匂い | |
味覚 | 尖った味 |
全体的に見ると聴覚と視覚から借りてくる表現が多く、そのうえで最も多いのは視覚から味覚へのパターンだそうです。「濃い味」「薄い味」「味に深みがある」「味が浅い」「尖った味」などもそうだし、どんな味か確認するときに「味を見る」というのもそう。
共感覚表現は日本語以外にもある
日本語の例ばっかり挙げたけど、共感覚表現は日本語にしかないわけじゃないです。これらは中国語の共感覚表現の例です。
(3) 声音甜美 (声が甘くて美しい)
(4) 温暖的颜色 (暖かい色)
(5) 淡淡的味道 (薄い味)
日本語に翻訳したのを( )に書いておきました。日本語でも言える表現がそのままそっくり中国語にもあります。(3)は聞こえてくる音を「甘い」、「美しい」と形容してます。味覚表現と視覚表現を聴覚情報の形容に用いている共感覚表現です。(4)は触覚表現を視覚情報に、(5)は視覚表現を味覚情報の形容に用いています。
日本語とか中国語とか以前に私たちは同じ五感を持ち、同じように言語を使う生き物なので、人が操る自然言語だったら共感覚表現は存在します。
共感覚表現と共感覚表現じゃないもの
(6) 音の重なり (共感覚表現)
(7) 甘い声 (共感覚表現)
音は本来、物の振動が空気を震わして、その振動が耳に届いて聞こえるものです。形なんてありません。でも例(6)のように「音の重なり」と言うことでまるで音に形があるかように扱えます。「重なり」は視覚表現で、聴覚情報である「音」に表現を貸している例です。それから(7)は味覚表現である「甘い」が聴覚情報「声」に表現を貸しています。これはこれまで述べたように共感覚表現なんですが、言葉の上で五感の表現が含まれているとしても、五感の間で表現を貸し借りしていないものもあります。例えば次の例を見てください。
(8) 甘い判断 (メタファー表現)
(9) 甘い採点 (メタファー表現)
(10) 考えが甘い (メタファー表現)
「甘い」は味覚表現ですが、「判断」「採点」「考え」などは五感の情報ではありません。その点からすればこれらは共感覚表現ではありません。(8)は判断の過程が、(9)は採点の過程が、(10)は考えの内容が味覚のもつ「甘い」と類似していると感じるため、「甘い」がその原義から意味拡張して抽象的な意味を表せるようになっています。これはいわゆるメタファー(隠喩)です。
参考文献
瀬戸賢一(2002)『日本語のレトリック 文章表現の技法』38-42頁.岩波ジュニア新書
瀬戸賢一編(2003)『ことばは味を超える 美味しい表現の探求』27-155,186-214頁.海鳴社
瀬戸賢一,楠見孝,辻本智子,山本隆,澤井繁男共著(2005)『味ことばの世界』31-39頁.海鳴社
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