平成27年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅲ 問題4解説
問1 「文」と「発話」の違い
話し言葉は「発話」、書き言葉は「文」という単位を用います。この理由として不適切なものを見つけます。
選択肢1
(1) 忘れ物をしてしまったんですが。 <言いさし>
主節を省略して、接続助詞で終わる従属節だけになったものを言いさしと言います。(1)は話し言葉では現れますが、書き言葉の「文」では普通現れません。言いさしは「文」ではなく「発話」というように区別するわけです。この選択肢は適当。
選択肢2
(2) これ… これ本当ですか?
(2)の「…」のようにポーズがあると、「これ」と「これ本当ですか?」が分かれているように捉えることができます。また、(2)を一つの文とみなす場合、「これ」を繰り返していることで非文になってしまうので、やっぱり文という扱いにはしにくいです。だから「発話」と呼びます。この選択肢は適当。
選択肢3
(3) カレー? (今日の晩御飯はカレーか?の意で)
話し言葉では「カレー」のように名詞一つ、上昇調イントネーションだけでも一つの意味を持ったまとまりを形成します。このような形式は書き言葉では普通現れないので、「文」と「発話」を区別する理由になります。この選択肢は適当。
選択肢4
話し言葉のほうが非文法的な表現が表れやすいですが、文法的に正しい表現が全く現れないわけではありません。この記述は不適当。
答えは4です。
問2 隣接ペア
隣接ペアとは、お互いに強い結びつきを持った二つの発話のペアを指します。例えば、質問「出身は?」に対しては応答「青森です」がペアとなります。このようなペアを会話から探しましょう。
「①昨日の夜、何を食べましたか。」では何を食べたか聞いているので、それに対応する応答は「④国の料理です。」です。①と④は隣接ペア。
「②いつ?」は時間を聞いています。時間を答えているのは「③昨日の夜。」だから②と③は隣接ペアです。
「⑤いいですねえ。」は前の発話の「④国の料理です。」に対応する応答ですが、④はすでに①と隣接ペアとなっているので、⑤は独立しています。
「⑥自分で作りましたか。」には「⑦はい。」が対応してます。⑥と⑦は隣接ペア。
つまり、①と④、③と④、⑥と⑦が隣接ペア。
答えは2です。
問3 文と文の接続に関する誤用
「文と文の間を適切につなぎ、関連づける」のは重要だと言ってますので、文と文の間が適切につながれていないものを探します。
選択肢1
接続詞「でも」があるので、前件と後件の論理関係は逆接でなければいけません。前件は「知っています」と肯定していて、後件は「知っていません」と否定しています。この点、論理関係から見ると正しいです。しかし「知っていません」という言い方が文法的に間違っています。ただしくは「知りません」です。文と文は適切に繋がれているのでこの選択肢は不適当。後件にアスペクトの問題が見られるだけです。
選択肢2
電車に間に合うために駅に向かっているはずなので、「電車がすでに出ました」という事態は予想外の出来事のはずです。だから2つの文の間には逆接の論理関係が認められます。したがって「しかし」などの逆接を表す接続詞を入れるべき。文と文が適切につながっていないのでこの選択肢が答えです。
選択肢3
「少しも~ない」というべき。文法の誤りが見られるだけで、文と文はしっかり繋がっています。
選択肢4
「多くの外国人」というべき。文法の誤りが見られるだけで、文と文はしっかり繋がっています。
選択肢2だけ接続表現がないので不自然になってます。
答えは2です。
問4 談話全体の目的を考えて発話を組み立てる
談話の目的を考えて発話してるかどうかを見ます。
選択肢1
雨が降っていれば、傘を持っていないと通常困ります。だからリサは「傘を持っていますか」と聞いて自然な談話の流れが維持されています。この選択肢は適当。
選択肢2
リサは昨日の宿題が分からなくて教えてほしいという意図を持っているようです。しかし宿題を教えてもらうには多くの時間がかかるので、その点に配慮してあらかじめ「忙しいですか」と時間的余裕があるかどうか聞いています。談話の流れ、前置きとして適当です。
選択肢3
リサは一緒にご飯を食べたいという意図を持っていますが、それを実現するためにはヨウがまだご飯を食べていないことが前提になります。だからリサは「もう昼ごはんを食べましたか」と聞いています。談話の流れは自然なのでこの選択肢は適当です。
選択肢4
何のためにこの発話をしているのかが見えてきません。ただ問いに対して答えるだけなので。一緒にご飯を食べにいきたいという目的があればいいと思います。何が好きかという問いにヨウさんは「カレー」と答えたので、「ではカレー屋に行きませんか」などの会話に繋げるといいと思います。
答えは4です。
問5 日本語の特質
文化を分類する際、高コンテクスト文化と低コンテクスト文化という考え方があります。
高コンテクスト文化 | 実際の言葉によりもその裏にある意味を察する文化のこと。重要な情報でも言葉に表わさず裏に隠して、相手に汲み取らせたり曖昧な言葉を使って表現する。世間一般の共通認識に基づいて判断したり、感情的に意思決定がなされる文化であり、いわゆる「空気を読む」ことが求められる。実際に発話された言葉は、会話の参与者の関係性、表情、状況、それまでの文脈などから判断して意味内容が変わり、特に日本はこの傾向がとても強い。 |
---|---|
低コンテクスト文化 | 高コンテクスト文化とは逆に伝えたいことは全て言葉で説明する文化のこと。言葉以外や雰囲気で気持ちや情報を伝えることはせず、全て自らが発した言葉で表現する。この傾向が強いのはドイツ語圏とされており、またアメリカやカナダなどの歴史的に移民で成り立っている国にも多いとされてる。移民が多い国ではさまざまな考え方を持つ人々が集まっているため、文化ごとに異なる気持ちを汲み取るのではなく、分かりやすい言葉で伝えることが重視される。 |
1 正しいです。
2 高コンテクスト的特徴を持つ言語では、話された内容よりも話されていない内容に比重が置かれる傾向があります。
3 話し手が言語化しない部分を聞き手が察する傾向があるのは、高コンテクスト的特徴を持つ言語です。
4 予測がより多く働くのは高コンテクスト的特徴を持つ言語です。
したがって答えは1です。
コメント
コメント一覧 (2件)
試験Ⅲ問題4
選択肢3と2について
2だけ接続表現がないことが回答の理由ですが、選択肢3も接続表現ありません。
[私は6時に駅に着きました。電車はすでに出ました(出ていました)] の方が、6時という時間の後に[すでに]という副詞が来ているので、時間の流れ的には繋がっているように思え、選択肢3より形態的には正しいような気がします。選択肢3は、接続表現は、どこと考えれば良いでしょうか。細かくてすみません!
>大福もちさん
ご指摘ありがとうございます。問題と解説についてもう一度確認いたしました。
文と文の繋がりということですので、おそらく談話の結束性について出題しているのだろうと思われます。
結束性は接続表現によって高まります。ですから「しかし」などの語がないことによって前件と後件のまとまりが薄くなっていると考えました。