2022.10.14 院生の自己紹介は定型的

 昨日の授業は、先生が別の大学の院生を授業に連れてきました。日本語のいろんな話題でみんなで議論しましょうということだったから人が必要だったんだと思う。初めましてってことで自己紹介をする機会があるけど、大学院生のこれまで私がしてきた自己紹介はちょっと違うのに気づきました。私は日本語学研究科の高橋です、社会人として働きながらー よろしくお願いしますみたいなこんな話をしてたんですけど、他の人の自己紹介を聞けばまず「〇〇大学修士〇年の~~です。~を研究しています。よろしくお願いします」のような言い方をするんですね。これが定型文なんだと思う。ちょっとそれに収まるのは嫌かな… 自己紹介だからもっと個人を識別できるような特徴のアピールをしていきます私は。

 連濁を研究してるって人がいて、その人が簡単に連濁の研究内容を教えてくれました。そこでちょろっと「複合語の前部要素が名詞なら連濁しやすい」と言ったんです。私これは初めて聞きました。例えば「テレビ離れ」とかでしょうか。でもちょっとこれ疑問で、言い方が違うんじゃないかーと思ってます。というのも「テレビ離れ」は「テレビから離れる」と言えるように前部要素と後部要素の間に格関係があります。”前部要素と後部要素に格関係がある複合語は連濁しやすい”というルールもありますから、正確には「前部要素が名詞で後部要素が動詞なら連濁しやすい」と言ったほうがいいんじゃない? と。言うだけで無責任ですけどね。膨大な複合語の調査をした結果、後部要素が動詞かどうかに関係なく前部要素が名詞だったら連濁しやすい傾向があった、ってことを言いたかったんだったら私がごめんなさいなんですが。他にも連濁はしてもしなくても意味は同じ、連濁するかは確率の問題、結局は個人にまかされる、なんてことも言ってました。日本語学習者に綺麗に説明できるような規則が見つかってくれればなーと思ってます。

 それから連濁の話をしているときに先生が「にせたぬきじる」と「にせだぬきじる」って例を挙げました。それを聞いて他の人達がみんな頷いてたのがびっくり。みんな知ってるんだーと思って。私これ初めて聞いたので先生にそれなんですか?って聞いたんです。そしたら丁寧に教えてくれました。短い時間でしたけど、まだまだ知らないことが多いなあと勉強不足を実感しています。

 勉強すればするほど不思議と分からないことが増えてきて。増えてきてというか、見えてきたんだと思います。今はもう分からないことだらけ。日本語学はあまりに広いし深いから一個人が全てを知ることは無理です。だから分からないことはすぐ分からないと伝えるようにしてます。そうしないと自分もためにもならないし、授業のためにもならない。でも同時に、自分の専門だけはどんな質問が来ても答えられるようにならないといけないと思ってます。そうしなければどこにも自分の居場所がないような気がするんです。あっ、深刻めに書きましたが大学院はちゃんと楽しんでます。

 もう一つ昨日面白かったのは吸着音。いわゆる舌打ちするときの音なんですが、日本ではイライラしたときに使ったり、相手にその怒りをぶつけたりするときに使う、いってみれば印象悪い音。そもそも日本語では言語音ではないです。でも南アフリカの言語には吸着音(舌打ち)が言語的に意味を持って使われているというお話。これ自体は私も知ってましたが、どうせ日本語にない発音なんだから詳しく知らなくてもいいだろうと思ってそこで探求が止まってました。先生はそこからもう一歩進んで吸着音の調音動作の話をしてくれました。日本語教師にこの知識は要らないですけど、日本語教師に意識をとられて無意識に興味の線引きをしていたみたい。こんな風に毎回何か気づきがあります。

 この音はどうやって発音するのか、AとBの違いは何か、「は」と「が」の違いは何か、この方言はどんな特徴があるなどなど、これらをどれだけ深く知っていたとしても日本語教育に全て還元されるとは限らないです。日本語教育は学習者あってのことで学習者に伝わらないと意味がないし、先生がその知識をひけらかして教育になってないなんてことになっちゃいけません。言語を客観的に説明する能力は多少あればよくて、むしろ教室運営というか、授業の仕方のほうが必要じゃないかと私は思ってます。日本語学と日本語教育は近いようで近くないです。私は研究者になるつもりはなくて、今の研究が自分の仕事に役立てられればと思ってるだけ。最終的には日本語教育に還元したいと思ってます。だから日本語教育のほうに重きを置いているんですが、それが自分自身の逃げ道にもなってるような気もしていてそれはそれで問題です。とりあえず大学院にいる以上は研究のスタンスで物事に向き合わないと先生に申し訳ないですから、頑張ります。




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