6月8日(土)から音声学の短期講座がはじまります。

撞着語法とは?

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撞着語法(oxymoron)

 撞着語法とは、正反対の意味を持つお互いに矛盾した語を結合した修辞表現のことで、撞着法、オクシモロン(oxymoron)、対義結合、矛盾語法などとも呼ばれます。瀬戸(1997:58)は「正反対の意味が直接接合されて、なおかつ矛盾に陥ることなく、第三の意味が融合生成される」と定義してます。

 例えば夏目漱石の『こころ』にはこんな撞着語法が見られます。

 奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。

 「落ち着く」と「驚き」は正反対の語だけどこれを無理やり結合して一つの表現にすることで修辞的効果を生んでます。個人的に好きなレトリックだけどめったに出会わないし、自分で作ろうと思ってもうまくいかない。

集めた撞着語法

 撞着語法の表現に気づいたらその都度集めてるんですけど、本当になかなか出会わない…

 ありがた迷惑、生きた化石、細マッチョ、ブサかわいい、小さな巨人、終わりの始まり、公然の秘密、暗黒の輝き、無知の知、唯一の選択肢、ゆっくり急げ、欠点のないのが欠点、劇団ひとり、動けるデブ、燃える氷、黒い光、嬉しい悲鳴、無冠の帝王、マイナス成長、遠くて近い国、リトルビッグプラネット、Mr.Children、アダルトチルドレン、平和のための戦争、こどおじ、耳をつんざく静寂、登る落日、沈まぬ太陽…

 BUMP OF CHICKEN の歌詞には撞着語法が結構見つかります。

 ・音の無い声で助けを呼ぶ (『プレゼント』)
 ・聞こえない言葉を呟いている (『望遠のマーチ』)
 ・皆集まって 全員ひとりぼっち (『望遠のマーチ』)
 ・塞いだ耳で聴いた (『Hello,world!』)
 ・未だ忘れられない忘れ物 (『月虹』)
 ・遠い隣人 (『窓の中から』)

なぜ撞着語法は矛盾に陥らないのか

 正反対の意味を持つ語を結合すると矛盾してしまって意味不明に、あるいは無意味になるはずなのに、私たちはなぜか理解できてしまいます。なぜなんだろう…。 これについて瀬戸(1997:59-60)はこのように言ってます。

 「遠くて近い(仲)」のような例では、実は、意味的な共通軸が一本ではなく二本に分かれている、と考えられなくもない。共通軸の「距離」が、「遠くて」に対しては「物理的距離」、「近い」に対しては「心理的距離」というように。すると、「遠くて近い」には矛盾は存在せず、一貫した解釈が成り立つ。(中略)「遠くて近い」で対立関係にあるのは、「物理的距離」と「心理的距離」に限らないだろう。「物理」と「物理」、「心理」と「心理」との対立も考えられる。

 これはなんとなーく言ってることは分かる気がする。例えば「彼は小柄だが、司令塔としてチームに貢献している。いわば小さな巨人だ」の「小さな巨人」は、身体的特徴として「小さい」と述べてる一方、チーム内の存在感として「巨人」と言ってて、体が小さくて大きいと言ってるわけではない。だから撞着語法はことばの上で矛盾していても、意味の上では矛盾しないってことなんですね。

他国の撞着語法

 勉強会で中国語とインドネシア語の例を教えてくれたのでここでも紹介します。

 まずは中国語の「最熟悉的陌生人」、曲名らしいです。直訳すると「よく知っている知らない人」「親しいけど知らない人」みたいな意味で多くの場合「元恋人」を指す語らしいです。

 それからインドネシア語の Panas Dingin 。 Panas はあつい、Dingin はさむいの意らしく、全体として熱を出したときの体温は高いけど布団に入りたくなるような体の寒さを表す語だそうです。

参考文献

 井門亮(2020)「オクシモロンに関する一考察 ー関連性理論の観点からー」『群馬大学社会情報学部研究論集』第27巻.1-16頁
 瀬戸賢一(1997)「認識のレトリック」海鳴社
 瀬戸賢一(2002)「日本語のレトリック 文章表現の技法」75-79頁.岩波書店




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