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母語羞恥(Mother tongue shame)

 おもしろい論文が1つあったので、今回はその内容の紹介。

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母語羞恥(Mother tongue shame)

 Xue(2023: 154)によると、母語羞恥は次のように定義されています。

 Mother tongue shame is a feeling of “shyness” or “discomfort” when expressing in one’s native
language, or when seeing others expressing something in their native language.
 母語羞恥は、母語で表現する際、または他人が母語で何かを表現する際に感じる「恥ずかしさ」や「不快感」の感覚である。

 Xue は自身以外にも中国人の多くの人が非母語の映画やテレビ番組の中国語吹き替え版を観る際に微妙な不快感を感じることに注目し、その母語羞恥が生じる原因を調査するために非母語の映画を観た63名にアンケート調査を行いました。すると「非母語のドラマを観る際にオリジナル版を選ぶか、中国語吹き替え版を選ぶか」という設問には63人中57人がオリジナル版を選び、中国語吹き替え版を選んだのは6人だけという結果が得られました。6人になぜ中国語吹き替え版を選んだのか聞いたところ、次のような理由を挙げたそうです。

 ①家族が中国語しか理解できないから
 ②お気に入りの声優が中国語吹き替え版に出演していたから
 ③非母語の映画を観ながら他のことをしていると聞き逃す可能性があるため

 ちなみに、オリジナル版と中国語吹き替え版のどちらを好むかについては、被験者63名全員がオリジナル版を選ぶという結果となっています。

羞恥のレベルとオリジナル版を選ぶ理由

 被験者63名に対して、中国語吹き替え版を観るときの恥ずかしさや不満の感覚を1~5で回答を求めたところ、次のような結果になりました。この結果から被験者の約90%が中国語吹き替え版で多かれ少なかれ母語羞恥を感じているということが分かりました。

羞恥のレベル 人数 割合
1(全く恥ずかしくない) 1 1.59%
2(少し恥ずかしいが、あまり気にならない) 6 9.52%
3(恥ずかしい) 14 22.22%
4(非常に恥ずかしく、ほぼ我慢できない) 20 31.75%
5(非常に恥ずかしく、完全に我慢できない) 22 34.92%

 また、被験者がオリジナルの映画を選ぶ理由として次のアンケート結果も得られました。

 87.3% – オリジナルの映画をより正統だと考えるから
 85.71% – 中国語と外国語とでは映画やテレビ番組で描かれる文化の不一致を感じるから
 44.44% – 中国語吹き替え版よりもオリジナル版のほうが上映が早いから(先入観)
 30.16% – オリジナル版と中国語吹き替え版では俳優の演技レベルに差があると感じるから
 30.16% – 言語よりも物語と登場人物に注目しているから
 4.76% – 集団心理に影響されてオリジナル版を鑑賞しているから
 3.17% – その他

 少なくとも中国人である被験者たちは、外国の映画やドラマを視聴する際にその「純正性」を重視しているようです。要するにオリジナルのものはオリジナルのまま視聴するのがいい、物語や登場人物がそのまま表現されているのがいいと考えるみたい。

Xue の母語羞恥に対する考察

 人は不慣れな外国語を使うときに、単語を思い出したり、文法を考えたりするので認知的な負担が大きくなります。すると相対的に感情の表出が減少し、判断を下すような場面ではより合理的で冷静、客観的かつ無感情になります。逆に母語を扱うときは無意識なので感情の表出は多いです。

 オリジナル版のドラマを観ると、外国語という一種の「」が視聴者とドラマを隔てることになり、視聴者はドラマの物語や登場人物をより冷静かつ客観的に観察し捉えることができます。しかし、中国語吹き替え版を観るとこの「」が破れ、視聴者は中国語吹き替えを行っている声優が中国の日常生活とは全く異なる場面で普段ほとんど使わない中国語の表現を使用していることに気づきます。この断片的な感覚が「母語羞恥」の主な原因と Xue は結論づけています。

 外国語では普通に聞こえるセリフや歌詞でも、それを中国語に置き換えることで「ぎこちない」「不快」「違和感」が生じる可能性があるというのは納得。確かに英語で “I love you” を家族にも友達にも言ったりする場面を映画で見たことがありますが、あれをそのまま「愛してる」と吹き替えすると日本語にはほぼ見られない発話行為なので違和感があります。

参考文献

 Qianwen Xue (2023) Exploring the Causes of “Mother Tongue Shame” When Watching Mandarin Dubbing of Non-Native Language Films and TV Programs, Journal of Education, Humanities and Social Sciences, Volume 13,pp.152-157




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