間接受身(indirect passive)
受身文のうち、主格が何らかの影響を間接的に受けることを表し、かつ「XがYに(その他)~される」を「YがXを(に)~する」に規則的に転換したときに非文になる受身を間接受身と言います。間接受身は主格に立つ人物が迷惑に感じる解釈が可能です。
間接受身は、意味的には主格に立つ存在が間接的に何らかの影響を受けることを表します。間接的に影響を受けるケースは図示すると上の2つのようになります。一つは、ある存在が別の存在を対象として直接働きかけた結果、第三者としての主格に何らかの影響が及ぶケース(間接受身のイメージ①)。もう一つは、ある存在が何らかの動きによって変化した結果、第三者としての主格に何らかの影響が及ぶケース(間接受身のイメージ②)です。
間接受身文は直接受身文とは違い、<対応する能動文の補語の数>と<受身文の補語の数>が一致しません。これは間接受身文に必ず成り立つ構文的特徴であり、この点から間接受身を判別・定義することもできます。
(1)の補語は「私が」「部下に」「仕事を」の3つでしたが、対応する能動文の補語は「部下が」「仕事を」の2つです。こうして補語の数が一致しないような受身文は間接受身と判別されます。
間接受身はその文型から迷惑の受身、持ち主の受身、自動詞の受身に分けられます。このうち迷惑の受身と持ち主の受身は<間接受身のイメージ①>で、自動詞の受身は<間接受身のイメージ②>です。
迷惑の受身
間接受身のうち、文型をこのように規則的に転換できるものを迷惑の受身(被害の受身)と呼びます。
能動文 | Xが Yを ~するXが Yに ~する | ↔ | Zが Xに Yを ~されるZが Xに Yに ~される | 迷惑の受身 |
迷惑の受身における主格(Z)は、その能動文で文の成分として現れません。なぜかというと、ある存在(X)が別の存在(Y)に対して働きかけるという独立した一つの事態があり、その蚊帳の外に第三者(Z)がいるためです。
(2) 私が 部下に 仕事を 辞められた。
(3) 私が 母親に 鍵を かけられた。
(4) 私が 隣人に 大声を 出された。
(5) 私が 彼女に カーテンを 開けられた。
(6) 私が 先生に 窓を 閉められた。
(7) 私が 彼女に 彼に 話しかけられた。
具体的に言うと、例文(2)には2つの事態が含まれています。一つは「①部下が仕事をやめる」という事態、もう一つはそれによって「②私が迷惑を受ける」という事態です。能動文では①しか描写されませんが、①の事態によって迷惑を受けたことを表す場合、迷惑を受けた存在を文中に明示する必要があるので、受身文では①と②の事象を同時に描写した(2)の例文ができあがります。したがって迷惑の受身の能動文では②の事象が描写されませんから、Zが現れないということです。
持ち主の受身
間接受身のうち、文型をこのように規則的に転換できるもの、つまり対応する能動文のヲ格成分やニ格成分の連体修飾部が主格に立つ受身文を持ち主の受身(所有の受身)と呼びます。
能動文 | Xが ZのYを ~するXが ZのYに ~する | ↔ | Zが Xに Yを ~されるZが Xに Yに ~される | 持ち主の受身 |
持ち主の受身文は対応する能動文において所有の「の」が現れます。なぜなら持ち主の受身文の主格に立つ人物の身体的部位や所有物を対象とした他動詞の受身文だからです。持ち主の受身は〔-が-に-を〕型と〔-が-に-に〕型の2つの文型をとり、それぞれ〔-が-を〕型と〔-が-に〕型に対応します。
(8) 私が 男に 足を 踏まれた。
(9) 私が 彼に 財布を 盗まれた。
(10) 私が 彼女に 秘密を 知られた。
(11) 私が 上司に 肩を 触られた。(さわる)
(12) 私が 上司に 髪に 触れられた。(ふれる)
自動詞の受身
間接受身のうち、文型をこのように規則的に転換できるものを自動詞の受身と呼びます。この規則的な転換ができる述語の動詞は必ず自動詞だからです。
能動文 | Yが ~する | ↔ | Xが Yに ~される | 自動詞の受身 |
(13) 私は 隣人に騒がれて、昨日は寝られなかった。
(14) 私は 試験当日に大雪に降られて、遅刻するところだった。
(15) 私は 君にそこに立っていられると、邪魔なんだよね。
(16) 私が 妹に 先に 帰られた。
(17) 私が 赤ちゃんに 泣かれた。
(18) 私が 子どもに 死なれた。
間接受身文と対応する能動文はなぜ補語の数が一致しない?
迷惑の受身、持ち主の受身の場合
間接受身の迷惑の受身は、ある存在が別の存在に働きかける事態が起こり、その事態をはたから見ていたものが、その事態が起こることによって影響を受けることを表します。
(19) 私が 部下に 仕事を 辞められた。 (迷惑の受身文)
(19’) 部下が 仕事を 辞めた。 (対応する能動文)
迷惑の受身文(19)について考えます。(19’)は部下が仕事を辞めるという一つの事態を描写した文です。<イメージ①>でいうと「部下」はA、「仕事」はBにあたります。この2人の登場人物がかかわる事態によって間接的に影響を受ける存在「私」がいるとき、「部下が仕事を辞める」と「私が迷惑を受ける」という2つの個別の事態を「『部下が仕事を辞めた』という事態によって『私が影響を受けた』」という一つの事態として見ることによって迷惑の受身文(19)のような描写がなされます。能動文では登場人物が2人だったのに対し、迷惑の受身文では迷惑を受ける存在が一人加わって3人になります。これがそのまま補語の数で構文的特徴として現れるので、迷惑の受身は対応する能動文と補語の数が一致しません。
(20) 私が 男に 足を 踏まれた。 (持ち主の受身文)
(20’) 男が 私の足を 踏んだ。 (対応する能動文)
持ち主の受身(20)も同様に、「男」がA、「足」がB、「私」がCと考えられます。「足」は「私」の身体の一部なのでBとCは同一だと考えられますが、そのように考えると直接受身のイメージになってしまいます。直接受身文と持ち主の受身文は意味的に近くても構文では全く異なることを考えると、BとCは別の存在であると解釈すべきですから、持ち主の受身は<間接受身のイメージ①>で解釈すべきものです。
自動詞の受身の場合
間接受身の自動詞の受身は、ある事態が起こり、その事態をはたから見ていたものが、その事態が起こることによって影響を受けることを表します。
(21) 私が 子どもに 死なれた。 (自動詞の受身文)
(21’) 子どもが 死んだ。 (対応する能動文)
(21’)は子どもの死という一つの事態を描写した文で、<イメージ②>に基づけば「子ども」がAにあたります。この事態によって間接的に影響を受ける存在「私」も含め、「『子どもが死んだ』という事態で『私が影響を受けた』」というひとまとまりの事態を描写すると自動詞の受身文(21)を作ることができます。この過程で、登場人物が「子ども」1人だった能動文に対し、受身文では「子ども」と「私」の2人が現れます。事態の登場人物は補語として文中に現れるので、登場人物が一致していない自動詞の受身文とその能動文では補語の数も一致しません。
参考文献
寺村 秀夫(1982)『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』くろしお出版
日本語記述文法研究会(2009)『現代日本語文法2 第3部格と構文 第4部ヴォイス』くろしお出版
コメント
コメント一覧 (10件)
「持ち主の受身」と「迷惑の受身」の違いについて質問をさせてください。上記解説では「持ち主の受身」⇒主語の身体的部位や所有物を目的語とする他動詞の受身形、「迷惑受身」⇒主語から見て迷惑と感じるもの、と記載されていますが、持ち主の受身の文例①-(7)・(8)・(9)はいずれも、踏まれた・盗まれた・切られた、というように、迷惑と感じるものなのですが、なぜ迷惑受身ではなく持ち主の受身として分類されているのでしょうか?
また、迷惑受身の文例②-(11)・(13)は、日記を見られた、ノートを破られた、というように、所有物を目的語とする他動詞の受身形であるのに「持ち主の受身」ではなく迷惑の受け身に分類されているのはなぜでしょうか?
私の質問の前提に誤解があるかもしれませんが、解説をよろしくお願いします。
>ヒロシさん
こんにちは、コメントありがとうございます!
「財布を盗まれた」も「先生に英語を褒められた」も持ち主の受身です。所有の受身は前者のように迷惑を感じることがありますが、後者のように迷惑を感じないものもあります。迷惑だと感じるかどうかは動詞によるもので、文型によるものではありません。必ずしも迷惑を表すとは限らないのです。一方で迷惑の受け身は文自体で迷惑のニュアンスを生み出すので、全ての文が迷惑と感じます。
私はこのように理解しておりますがどうでしょうか。お気づきの点、間違い等ありましたらご指摘頂ければと思います!
早々に返信をいただき、ありがとうございました。大変恐縮ですが、追加の質問をさせてください。
「先生に英語を褒められた」が、持ち主の受身とのことですが、上記解説では「持ち主の受身」⇒主語の身体的部位や所有物を目的語とする他動詞の受身形、とあります。「英語を褒められた」ことの何が身体的部位や所有物なのでしょうか?
また、「財布を盗まれた」について、「持ち主の受身」であるが「迷惑を感じるもの」という解説でしたが、「持ち主の受身」でありながら、かつ「迷惑の受け身」であるということでしょうか?
上記解説では、「間接受身は、①持ち主の受身と②迷惑の受け身の2つに分類される」とあったため、私は「①か②のどちらかに分類される」と理解していましたが、ひょっとして「①でかつ②」というものもあるということでしょうか?
>ヒロシさん
英語は勉学を通して身につけたものですからここでは所有物として扱っています。
また、「①かつ②」の状況はあり得ません。間接受身は必ずいずれかに分類されます。迷惑を感じるからと言って必ず迷惑の受け身に分類されるとは限りません。迷惑の受け身は文全体で必ず迷惑のニュアンスを生み出します。持ち主の受け身は動詞によって迷惑のニュアンスを含むこともありますが、持ち主の受け身であることには変わりません。
ご丁寧な解説をいただきありがとうございます。
「英語は勉学を通して身につけた『モノ』だから所有物」とのこと、理解できました。
また、「①かつ②はあり得ない」とのこと、についても理解しました。
しかし、「(7)彼女に足を踏まれた」が持ち主の受身で、「(12)妹にノートを破られた」が迷惑の受け身、という違いがどうしても理解できません。(7)「足を踏まれた」は「持ち主の受身」の定義にある「主語の身体的部位や…の受身形」について「足」が該当し、かつ迷惑を受けている(踏まれた)と理解できますし、(12)も「ノート」という所有物が迷惑を受けている(破られた)と理解できると思います。
持ち主の受身と迷惑の受け身、夫々の特徴・定義は何となく理解出来たような気がするのですが、試験で文例が出てきた時に、その文が「持ち主の受身」なのか「迷惑の受け身」なのかを正しく判別する方法をあらためてご指導いただけないでしょうか?よろしくおねがいします。
大変参考になりました。ありがとうございます。「英語にも訳しにくい形式です。」は、蛇足だと思います。
>MMSさん
コメントありがとうございます!
不要とのことご指摘ですのでこの文言は削除させていただきます。
実際のところ英語には詳しくないので、どこかの参考書に書かれていたものの受け売りだったものです。
貴重なご意見ありがとうございました!
分かりやすくて、勉強になります。。
ある問題集に「受身文の誤用」にあったものです。5択の中で「火事で焼け出された。」を正解としています。(他の選択肢「彼女の笑顔で癒された。」以下省略)解説には「慣用的な表現」ということですが、
受身文の関連問題で、このような誤用を認識していませんでした。「慣用的な表現」と言われても、一見したところ受身と捉えてしまうのですが、どのように対応すべきかご教示ください。
部外者がすみません。
「火事で焼け出される」の「焼け出される」は受身形ではなく自動詞のようです。
調べたらでてきます。