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平成30年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅰ 問題3C解説

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平成30年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅰ 問題3C解説

(11)漠然性(vagueness)

 問題文には「(足は)左右の数、部位などが特定されていない」とあり、これをあいまいさの一つの漠然性と呼んでいるみたいです。
 あいまいさがあると聞き手に必要な情報が伝わらなくなるので、聞き手はもっと情報提供を求める明確化要求を行ったりします。各選択肢を見てみましょう。

選択肢1

 タコと言えば足は8本あると分かりますし、文中で8本あることが言及されていて漠然性は低いです。
 聞き手がさらに情報を求めることはありません。

選択肢2

 「彼」と言えば足が2本あることが推論できます。その2本の足を組んだのも文中に明示されています。
 足を組む際にどちらの足が上か、なんていうことは分からないので漠然性は高いのでは? と思う人がいるかもしれませんが、その情報は特定する必要がないのであいまいさに含まれません。わざわざ「どっちの足が上?」なんて聞く人はいないので。

選択肢3

 どちらの足のどこを怪我したのか特定できません。この文が示す情報だけでは漠然性が高いので「どっちの足を怪我したの?」「足のどこを怪我したの?」という質問を誘発する可能性が高いです。これが答え。

選択肢4

 この文の「足」は文字通り「足」の意味を持っていません。慣用表現「足が速い」で「走る速度が速い」という意味です。この文だけで意味は充足しているので漠然性は低く、したがってどちらの足が速いのかなどの質問を誘発することもありません。

 答えは3です。

(12)「ちょっと」の用法

 物の数量を表す「ちょっと」は(1)(2)、程度を表す「ちょっと」は(3)(4)です。

 (1) チョコレート、ちょっとだけください。 (数量)
 (2) お金がちょっと溜まりました。     (数量)
 (3) ちょっと失敗しました。        (程度)
 (4) 窓をちょっとだけ開けますね。     (程度)

 こういう「ちょっと」とは違う用法を持つのを探します。

 1 呼びかけの「ちょっと」
 2 物の数量や程度を表す用法
 3 物の数量や程度を表す用法
 4 物の数量や程度を表す用法

 答えは1です。

(13)構造的曖昧性

 構造的曖昧性については文章中に説明があって「語形成のレベルや文のレベルで生じる構造の曖昧性」だそうです。一語レベルの話ではなく、語と語の関係から来る曖昧性、文レベルで生じる曖昧性を指しているみたい。つまり統語的な曖昧性ですね。

選択肢1

 「10名くらい」の「くらい」が数量的な曖昧性を含んでいます。8名、9名かもしれないし、11名、12名かもしれない。だいたいそのあたりというときにこのような言い方をしますが、これでは具体的な人数が伝えられません。この曖昧性は語「くらい」に起因しているので語彙的曖昧性の例です。この選択肢は間違い。

選択肢2

 「1000人ばかり」の「ばかり」が数量的な曖昧性を含んでいます。正確な人数が明確になっていない例。この曖昧性は語「ばかり」に起因しているので語彙的曖昧性の例。この選択肢は間違いです。

選択肢3

 この文には曖昧性が見られません。

選択肢4

 友達が大学で財布を落としたのか、それとも友達が財布を落としたという話を話し手が大学で聞いたのか、この文は複数の解釈ができます。「大学で」が「落とした」を修飾していれば友達が大学で財布を落としたという解釈になり、「大学で」が「聞きました」を修飾していれば友達が財布を落とした話を話し手が大学で聞いたという解釈になります。この曖昧性は語レベルで生じているものではありません。修飾関係、つまり文レベルで生じている曖昧性だからこれが構造的曖昧性の例。答えはこれです。

 したがって答えは4です。

(14)言語情報が不足していることによって解釈が決定できないケース

選択肢1

 返答の「いいよ」が良いのかダメなのか分かりません。誘っても良いことを伝えるなら「いいよ、誘おう」、誘いたくないなら「いいよ、誘わなくて」と言えば曖昧性が解消されます。言語情報「誘おう」「誘わなくて」などが不足しているので解釈が揺れています。
 これが答え。

選択肢2

 「仕事が早く終われば行く」という意味で解釈は一つです。曖昧性はありません。

選択肢3

 この場合の「結構ですよ」は「良いですよ」という意味で解釈は一つ。曖昧性はありません。

選択肢4

 「誰?」に対して明確に「太郎です」と答えていますし、曖昧性はありません。

 答えは1です。

(15)あいまいさ

 学習者が授業後、突然教師に「先生、私には妹がいます」と言いました。この発話から「この学習者には妹がいるんだ」という命題の意味が理解できますが、何の脈絡もなくこのような事を言われると命題は理解できてもなぜそう言ったのか発話者の意図は分かりません。曖昧性は文脈によっても生じますよっていうことですね。

 したがって答えは3です。




コメント

コメント一覧 (6件)

  • お尋ねします。スパッスパッと切れ味よく説明していただきありがとうございます。
    ところで、30年度試験1のCの14
    「明日のカラオケに山田さんも誘う?」と聞かれて、「いいよ」と回答し、解説では、「いいよ」では、回答になってないとの趣旨でした。普通、このような場合、「いいよ」のあとに、「いいよ、誘わない」と言うことが有るかなと疑問に思いました。

    • >メロンパンさん
      おっしゃる通りです。「いいよ」はイントネーション次第でOKの意味にもダメの意味にもなります。「良いよ」と「いいよ(結構です)」のことですね。ですからメール等の文面で「いいよ」と返信しただけでは言語情報が不足していて解釈が決定できないというわけです。

      • 早速のご返事、本当にありがとうございました。
        自分自身の思い込みでした。確かにメール文では、わかりませんね。
        検定試験合格は難しそうですが、問題集を解きながら、「毎日のんびり日本語」の先生の回答が理路整然、広い知識からのご説明で、それを読むのが毎日とても楽しいです。

  • 初めてコメントいたします。令和4年の試験合格を目指している者です。
    このサイトを発見してから大変重宝させていただきありがたいと思っています。

    しかしこの(14)の問題は非常に不愉快です。私は正解は2だと思いました。

    取り合えず管理人様の正解の解説を元に私なりの解釈を記したいと思います。
    正解1の「いいよ」という返答は確かに肯定の「いいよ」と否定の「いいよ」があります。
    口頭の会話では口調で「いいよ」が肯定なのか否定なのか解りますが、
    この問題ではメールなので判断できないかもしれません。

    しかし、「問いかけ文」の「誘う?」が肯定の「いいよ」を誘導していると思えませんか。
    別の言い方をすれば「誘っていい?」ならばもっと明確に肯定の「いいよ」を誘導していると思います。
    また、「誘った方がいい?」はどうでしょう?「いいか悪いか」判断を問いかけています。
    このときに「いいよ」と答えられたら私だったら肯定なのか否定なのか判断に迷うかもしれない。
    どちらかというと肯定に近いですが。

    それからメールで否定の意味で「いいよ」を使うでしょうか?
    あまり現実的に否定の意味で「いいよ」を使うと思えないのです。
    ということで私の判断ではこの「いいよ」は肯定と思いました。

    逆に言えば問いかけ文の「誘う?」が曖昧で言語情報が不足していることにより
    この1が正解であるならば取り合えず納得いたします。

    私が2が正解だと思った理由は「仕事が早く終われば」は明確に「行く」でしょうか?
    「行けるかもしれない」、「行けるかな?」ぐらいの解釈しか私はできませんでした。
    関西人がよく使う「行けたら行くよ」が断り表現であるのと同じ考え方です。
    「ればたら」に後接するのに「かも知れない」、「かな?」も間違ってないと思うのですが。
    ということで私は最初は2が正解だと思いました。

    それから3の回答もい気に入らないですね。「結構ですよ」と上司が答える?
    これこそ、「いいよ」とか「どうぞ」ではないかと思うのですが。
    この回答でも判断に結構に困りますよね。

    何かこの問題は問題そのものが曖昧で解釈がどうにでも取れるので非常に不愉快です。
    企業に長年勤めていた人間にとっては言語の裏を見るとか読むとかも必要だったので
    妙にうがった見方をするのが災いしているのかもしれません。

    私のこのコメント文の添削と上記解釈を含めて管理人様のコメントを是非お願いいたします。

    • >マッツさん
      コメントありがとうございます。
      選択肢1について
      誘うことを肯定するときの「いいよ」と否定するときの「いいよ」では、口頭で話すときに文末イントネーションや声の調子が変わるはずです。イントネーションや声の調子は文字にすることができないため、「いいよ」と書いただけでは複数の解釈が可能です。

      選択肢2について
      「~ばいいです」という一つの定型表現です。この定型表現は「ば」で言いさして、後件の「いいです」の類を省略することが可能です。「仕事が早く終われば」の後件は「いい」あるいは「行く」が来ることは予想でき、この点で「行く」という命題(客観的な意味内容)は相手に伝わるので曖昧ではありません。
      さらにその後ろに可能性の「かもしれない」「かな」などが来ることも考慮されているようですが、これは話者自身の判断を表すものであって、命題の解釈とは別物です。ここまで考慮すれば「かもしれない」が後接される発話が全て曖昧ということになってしまいます。

      問題文自体への指摘については私にはどうしようもないので答えられません。
      主観ではなく、全ての問題を文法規則から解くと良いと思います。

  • 早速、回答いただきありがとうございます。
    解説を読んで1は理解できていたのですが2は納得いかなかったので
    コメントを送信した次第です。
    2については定型文ということで理解いたしました。
    主観にとらわれずに文法規則から回答を導き出すというのがいいのですね。
    ありがとうございました。

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