日本語のテンスについて
テンスについて、日本語の動詞述語を見ると、文が表す事態が発話時を基準として<過去>に生起したことを表すときには述語に /-ta/ が現れます。次の例文(1)は述語に現れる /-ta/ により、「コンサートがある」という事態が発話時よりも<過去>のある時点に生起したことを表しています。対して、発話時<現在>において生起したことを表すときと発話時を基準として<未来>に生起したことを表すときには述語に /-ru/ が現れます。例文(2)は「机の上にりんごがある」という事態が発話時<現在>に生起しているという意味で、(3)は「コンサートがある」という事態が発話時よりも<未来>に生起することを表します。
(1) 昨日、コンサートがあった。 <過去>
(2) 机の上にりんごがある。 <現在>
(3) 明日、コンサートがある。 <未来>
日本語は時を形態的に /-ta/ と /-ru/ の2つに区別する言語で、前者は<過去>を表す形式として過去形やタ形と呼ばれ、後者は<現在>と<未来>を表す形式として非過去形やル形と呼ばれます。日本語では<現在>と<未来>を形態上区別しないので、/-ru/ を現在形や未来形と呼ぶことは普通ありません。
述語の種類とテンス
単文や複文の主節におけるテンスを観察すると、述語の種類からテンスの一般則が見い出せます。
名詞、ナ形容詞、イ形容詞、状態を表す動詞を述語とする文は時を表す副詞を伴わない場合、述語が無標の形式(ル形)で<現在>の解釈がなされます。(4)において彼が「学生」という状態を有しているのは<現在>の事態であり、(5)において彼が「カッコいい」という状態を有しているのは<現在>の事態です。一方、動作・作用を表す動詞を述語とする文は、述語が無標の形式(ル形)で<未来>の解釈がなされます。(8)(9)の文が表す事態はいずれも発話時よりも<未来>に生起するものと解釈できます。
(4) 彼は学生だ。 <現在> (名詞)
(5) 彼はカッコいい。 <現在> (イ形容詞)
(6) paypayは便利だ。 <現在> (ナ形容詞)
(7) 机に本がある。 <現在> (状態を表す動詞)
(8) 試験を受ける。 <未来> (動作・作用を表す動詞)
(9) 話し合いをする。 <未来> (動作・作用を表す動詞)
このテンスの解釈の観点から、ル形で<現在>の解釈がされる述語を静的述語や状態性述語、ル形で<未来>の解釈がされる述語を動的述語と呼びます。前者は例文(4)~(7)で示したような名詞、ナ形容詞、イ形容詞、状態を表す動詞を述語においたもので、後者は例文(8)(9)のような動作・作用を表す動詞を述語においたものを指します。
静的述語、動的述語はどちらの場合でもタ形で<過去>を表します。
(10) 彼は学生だった。 <過去> (名詞)
(11) 彼はカッコよかった。 <過去> (イ形容詞)
(12) paypayは便利だった。 <過去> (ナ形容詞)
(13) 机に本があった。 <過去> (状態を表す動詞)
(14) 試験を受けた。 <過去> (動作・作用を表す動詞)
(15) 話し合いをした。 <過去> (動作・作用を表す動詞)
まとめるとこうなります。
ル形 | タ形 | |
---|---|---|
静的述語 | <現在> | <過去> |
動的述語 | <未来> |
ムードの「タ」
静的述語はル形で<現在>、タ形で<過去>、動的述語はル形で<未来>、タ形で<過去>というのが一般則ですが、文が表す事態が述語の形態に対応しないような場合が見られます。寺村(1984: 105-113)はそのようなテンスを「叙想的テンス」と呼び、次の5つを挙げました。これらはテンスとして扱うよりも、ムードの形式として扱うべきではないかと述べ、一般にムードの「タ」と呼ばれています。
期待(過去の心象)の実現
(16) ああ、ここにあった! (探し物を見つけて)
(17) 今の人、カッコよかったなあ。(すれ違った人に)
(18) 外はこんなに暖かったんだ。 (外出して)
(16)は今現在探し物が目の前にあるのに /-ta/ を用いる例で、事態が生起する時とテンス形式が一致していない特殊な過去形の例です。典型的には探していたものを見つけたときにこのような「た」が現れ、一般に発見のタと呼ばれる用法です。この「た」には、文頭に「あっ」「ああ」「なんだ」などの感嘆詞、文末に「~のだ(んだ)」や「~のか」などが共起しやすいです。
忘れていたことの想起
(19) あっ、今日は会議があるんだった。
(20) そういえば今日は休みだった。
(21) 確か、君は川村くんだったね。
話し手はすでに知っていたことを一時的に忘れ、それを発話時<現在>に思い出したときにも /-ta/ 現れます。この用法は想起のタと呼ばれる用法で、名詞述語文や「ある」「いる」の多く現れます。「あっ」「そうだ」「そういえば」の感嘆詞が呼応します。
過去の実現の仮想を表わす過去形
過去に実際に実現しなかったという意味を表すときにも /-ta/ が現れ、この用法は反事実のタと呼ばれます。反事実の「た」は、例文(22)のように従属節に反事実を表す条件節が置かれたときに主節で現れたり、(23)のように「~べきだ」「~ほうがいい」などの形式を伴ったり、(24)のように「~ところだった」で表されます。
(22) すぐ壊れると分かってたら買わなかった。
(23) もっと真面目にやるべきだった。
(24) もう少しで死ぬところだった。
過去に実現しなかった事態を望んでいる場合と望んでいない場合があり、この違いは「のに」が共起するかどうかにかかわります。例えば(22)は「買わない」という望んでいる事態が実現しなかったことを表すので、後悔や不満の気持ちが含まれ、この場合は「のに」が共起できます。しかし、(24)のように望んでいない「死ぬ」が実現しなかったことで安堵の気持ちが現れる場合は「のに」が共起できません。
さし迫った要求
(25) 安いよ! さあ、買った、買った。
(26) どいた、どいた!
(27) ちょっと待った!
/-ta/ を用いて一種の命令を表すのがこの用法です。この種の命令は通常の命令とは異なり、事態に緊急性が認められるときに特に使われるため、差し迫った要求のタと名付けられています。ただし表現が固定化されていて、その数も少なく、現代ではあまり聞かないものばかりです。
判断の内容の仮想
(28) タバコは止めたほうがいい。
(29) まずすぎて食えたもんじゃない。
これらは話し手の判断を表す形式に先行する述語に /-ta/ が現れてますが、<過去>を表しているわけではありません。どちらも事態を仮想的に成立したものとして述べ、それに対して評価するものです。
絶対テンスと相対テンス
従属節のテンスは単文や複文の主節のテンスとは異なる基準時で時を規定します。それは従属節の種類によって異なりますが、ここでは大雑把にまとめることを目的として、次のような条件節、時間節を用いて概説します。
(30) 風邪を引いたら、薬を飲む。
(30)の文において、発話時と従属節の事態、主節の事態が生起する時の順序は上図のようになります。ここで注目すべきは、主節「薬を飲む」はル形なので発話時よりも<未来>に位置しますが、従属節「風邪を引いた」はタ形なのに発話時よりも<過去>に位置していません。日本語の主節のテンスは単文のテンスと同じく発話時を基準にして事態が生起する時を定めますが、従属節のテンスは主節の事態が生起する時を基準に定まります。つまり、従属節「風邪を引いた」が表す事態は発話時を基準として<過去>に位置するのではなく、主節「薬を飲む」が表す事態よりも<過去>に位置するわけです。この一般則は以下の例文においても同様です。
(31) 風邪を引いた後に、薬を飲んだ。
主節「薬を飲んだ」は発話時よりも<未来>に位置し、従属節「風邪を引いた」は主節よりも<過去>に位置します。
(32) 風邪を引く前に、薬を飲む。
主節「薬を飲む」は発話時よりも<未来>に位置し、従属節「風邪を引く」は主節よりも<未来>に位置します。
(33) 風邪を引く前に、薬を飲んだ。
主節「薬を飲んだ」は発話時よりも<過去>に位置し、従属節「風邪を引く」は主節よりも<未来>に位置します。
このように、発話時を基準にして時を定めるテンスを絶対テンス、主節時を基準にして時を定めるテンスを相対テンスと呼びます。
参考文献
庵功雄(2001)『新しい日本語学入門 ことばのしくみを考える』142-151頁.スリーエーネットワーク
寺村秀夫(1984)『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』75-205頁.くろしお出版
日本語記述文法研究会(2007)「テンス」『現代日本語文法3 アスペクト・テンス・肯否』115-205頁.くろしお出版
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