コード・スイッチング(code-switching)
コード・スイッチング(code-switching:コード切り替え)とは、二言語話者(バイリンガル)もしくは3つ以上の言語を使用する多言語話者(マルチリンガル)が談話や文章の中で、英語から日本語、日本語から英語のように、言語を切り替える現象のことです。主に話し言葉に見られます。次の例では、中国語で開始した談話が途中で日本語に切り替えられたり、また中国語に切り替えられたりして、日本語と中国語がスイッチしています。
A: 刚才吃了什么? (さっき何食べてたの?)
B: 昼ごはん? 我吃了肉まん。 (昼ごはん? 肉まん食べてた)
A: いいね。在哪里买的? (いいね。どこで買ったの?)
B: コンビニで。离公司很近。 (コンビニで。会社から近いよ)
A: 好吃吗? (おいしい?)
B: うん、おいしかった。 (うん、おいしかった。)
状況的及び隠喩的な切り替え
ブロムとガンパーズ(Blom & Gumperz 1986)はノルウェー北部の Hemnesberget に住む住民の言語使用について調べました。ここに住む住民の多くはラナマル(Ranamål)という地域方言のネイティブスピーカーですが、教育や取引、宗教、メディアなどの公的な場面では常にボクマル(Bokmål)というノルウェーの法律で定められている標準語のうちの一つが使用されています。この地域の住民に調査として接触したところ、そうして観察されたコード・スイッチングには2つのタイプが見られたと報告しています。その一つは状況的コード・スイッチング(situational code-switching)、もう一つは隠喩的コード・スイッチング(metaphorical code-switching)です。
状況的コード・スイッチング(situational code-switching)
ブロムとガンパーズがその地域のグループの会話に外部の者として加わったときに、自分たちの到着によってそれまでポケットに手を入れていたのを外に出したり、視線が変わったりと、カジュアルだった態度に大きな変化をもたらし、また、自分のたちの発言によって彼らにはコード・スイッチングが起き、それまで使っていたラナマル(方言)からボクマル(標準語)へのシフトが見られたそうです。このように、同一場面で社会的な状況が変化するとき、その変化は態度だけでなく、言語的な手がかりによっても示されます。また、同地域では、教師は正式的な講義においてボクマル(標準語)を用いる一方で、学生との自由な議論を行うときにはラナマル(方言)に切り替えます。このような社会的状況の変化によって生じるコード・スイッチングを状況的コード・スイッチング(situational code-switching)と呼びます(Blom & Gumperz 1986: 424-425)。
この類のコード・スイッチングではコードの選択が社会規範によって厳しい制約を受けていて、仮に標準語を使用すべき場面で使用しなかったり、標準語を使用するべきでない場面で使用したりする人はその規範に違反するため、当該会話が中断させるきっかけになったり、あるいはその人に対して社会的制裁が与えられる可能性があると述べています。
隠喩的コード・スイッチング(metaphorical code-switching)
コードの選択が社会規範によって厳しい制約を受けている状況的コード・スイッチングとは対照的に、その制約が比較的緩やかで、会話参与者がコードの選択をかなり自由に行える場合もあります。例えば、役所などの公的な場面における事務では一般に標準語が適切とされていますが、そこで働く事務員も訪れる人もお互い地元の人であることを知っているため、公的な場面であっても部分的に方言が挿入されることがあります。具体的には、挨拶や家族に関する問い合わせでは方言が使われる傾向があり、ビジネスに関する話題では標準語で行われます。このタイプのコード・スイッチングは社会的状況の変化によって生じるものではなく、特定の話題やテーマに関連しているものと考えられ、この種のコード・スイッチングを隠喩的コード・スイッチング(metaphorical code-switching)と言います(Blom & Gumperz 1986: 425-426)。
ビジネス場面で一通りそれまでの話を終えた後、プライベートの話をするために部屋の隅に寄り、それ以降の話し合いを全て方言で行っていたという言語使用が観察されたことを根拠に、ブロムとガンパーズは隠喩的コード・スイッチングはその会話に秘密性(confidentiality)や私的(privateness)な意味を加えることがあると述べています。ビジネス場面において適切と考えられているボクマル(標準語)を用いるのではなく、あえてラナマル(方言)を用いることで秘密性や私的さといった隠喩的な意味を伝えようとしていると分析しました。つまり隠喩的コード・スイッチングは、ある種の隠喩的な意味を伝えようとするコード・スイッチングと言えます。
2018年公開のアメリカの映画「グリーンブック」(英名:Green Book)の映画冒頭、イタリア系移民の主人公トニーが寝ている間に、黒人の修理屋2人が自宅で作業をする場面。騒がしい音でトニーが目覚めると、キッチンでは妻ドロレスが修理屋2人に応対し、リビングには妻の父と友人たちが騒いで野球を見ていました。状況を知らないトニーが彼らに何をしてるんだと尋ねると、それまで使っていた英語からイタリア語にスイッチして「黒人がいる時に俺の娘を一人にしておくな。分かってるな?」と言い、トニーもそれに対して「黒ナスが来ると思わなくて」とイタリア語で返します。
この場面では英語が理解できる黒人2人に話の内容が聞かれないよう、一時的にイタリア語にスイッチし、隠喩的な意味を伝えようとする様子が見られます。
会話内コード・スイッチング(conversational code-switching)
ガンパーズ(2004: 73)は「二つの異なる文法システムあるいはサブシステムに属する会話の一節を、ことばの一連のやり取りの中で並置すること」と定義されるコード・スイッチングを会話内コード・スイッチング(conversational code-switching)と呼びました。この種のコード・スイッチングは発話の中で異なる言語の言語形式が現れますが、それらが統語的・意味的な繋がりで連結しているのが特徴です。
(1) ちょっと拉粑粑してくる。
(ちょっとトイレしてくる。)
参考文献
東照二(2009)『社会言語学入門<改訂版> 生きた言葉のおもしろさに迫る』23-47頁.研究社
岩田祐子(2022)「言語の選択」『改訂版 社会言語学—基本からディスコース分析まで』111-136頁.ひつじ書房
渋谷勝己・家入葉子・高田博行(2015)「歴史社会言語学の基礎知識」『歴史社会言語学入門-社会から読み解くことばの移り変わり』5-42頁.大修館書店
Blom, Jan-Petter & Gumperz, J. J. (1986). Social meaning in linguistic structure Code-switching in Norway. In J. J. Gumpertz, & D. Hymes, (Eds.), Direction in sociolinguistics – The ethnography of communication (pp.407-434). Oxford Basil Blackwell.
Gumperz,J.J.(1982).Conversational code-switching.In J.J.Gumperz(Ed.)Discourse strategies(pp.59-99).Combridge:Cambridge University Press.[ジョン・ガンパーズ(著)・花﨑美紀(訳)(2004)「会話内のコードスイッチング」『認知と相互行為の社会言語学 ディスコース・ストラテジー』73-134頁.松柏社]
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