形容詞の中和
属性の程度において対立関係がある対義語、例えば「大きい」と「小さい」は形状等が著しいものには「大きい」が使え、そうではないものには「小さい」を使うように、程度における対立関係が認められます。しかし、語幹に接辞 -sa をつけた形式「大きさ」「小ささ」では対立関係が解消されることがあります。
【大きいとされているもの】
(1) 岩の大きさは推定6トンで、押すと揺れるのに落ちそうで落ちない。
(2) 太陽の大きさは直径約140万kmです。
(3) 脳の腫瘍はどのくらいの大きさなら生活に支障が出ますか?
【小さいとされているもの】
(4) 顔には0.1~0.4mmほどの大きさの顔ダニが生息している。
(5) 定食のエビフライのエビの大きさに不満がある。
(6) 声の大きさは自信の無さを表す。
「大きさ」は(1)~(3)のように一般常識として大きいとされているものや話し手によって大きいと認識されているものを表せますが、同時に(4)~(6)のように一般常識的に小さいとされているものや話し手によって小さいと認識されているものも表せます。しかし「小ささ」は大きいとされているものに言及する(7)~(9)では不適当で、もっぱら小さいとされているもの(10)~(12)しか表せません。
【大きいとされているもの】
(7) *岩の小ささは推定6トンで、押すと揺れるのに落ちそうで落ちない。
(8) *太陽の小ささは直径約140万kmです。
(9) *脳の腫瘍はどのくらいの小ささなら生活に支障が出ますか?
【小さいとされているもの】
(10) 顔には0.1~0.4mmほどの小ささの顔ダニが生息している。
(11) 定食のエビフライのエビの小ささに不満がある。
(12) 声の小ささは自信の無さを表す。
これらの例から、(1)~(6)の「大きさ」は積極的に大きいことを表しているわけではなく、「大きい」と「小さい」を含む意味的に中立的な尺度を表し、(7)~(12)の「小ささ」は積極的に小さいことを表していることが分かります。このように「対立関係が一定の条件のもとでなくなること」を中和と言います(宮島 1997: 21)。中和は「広い-狭い」「重い-軽い」「深いー浅い」「多い-少ない」「明るい-暗い」などの多くの形容詞に見られ、著しい程度を表すほうが中和した意味を担います。
感情形容詞は中和が起こらない
村木(2018: 76)によると、「広い-狭い」のような対立関係にある属性形容詞の対義語において著しい程度を表すほうは中和できますが、「うれしい-悲しい」「誇らしい-恥ずかしい」のような感情形容詞の対義語はどちらの語にも中和が起こりません。(13)の「嬉しさ」は悲しい感情を含むものではなく、もっぱら嬉しい感情を表していまし、(14)の「悲しさ」にも嬉しい感情は含まれず悲しい感情を積極的に表すものです。どちらも中立的な尺度を表す意味を持っていないので中和は起きていません。
(13) 嬉しさが込み上げてくる。 <感情形容詞>
(14) 怒りより悲しさの方が強い。 <感情形容詞>
(15) 頑張った自分にちょっと誇らしさを感じる。 <感情形容詞>
(16) 恥ずかしさのあまり顔も上げられない。 <感情形容詞>
属性形容詞が中和できて感情形容詞が中和できない理由として村木(2018: 76)は、「『広い』と『狭い』のような同一方向の程度で対立関係ができている属性形容詞と、『うれしい』と「悲しい』のような逆方向の対立関係とは異質である」と述べています。つまり、属性形容詞の対義語は同一尺度の程度の違いを表すので、程度の違いを超えた中立的な尺度を表す概念を中和によって表現することができますが、感情形容詞の対義語は同一尺度ではないため、それらの感情をまとめて表す尺度が存在せず、中和ができないということだろうと思います。
感覚形容詞は中和ができるか?
味覚刺激を表す「辛い-甘い」のような感覚形容詞の対義語が中和できるかどうかは参考文献で言及されていませんが… 次の例文を見るに「辛さ」は中和できる例があります。(19)はカレー屋さんの注文場面を想定したものですが、ここでいう「辛さ」は甘いものから辛いものまでを含んでいます。一般に「辛い-甘い」は味覚に対する刺激という同一尺度の違いを表すものだから、程度の違いを超えた中立的な尺度を中和によって表せるようです。
(17) カレーの辛さをメニューから選んでください。
(18) 甘さは控えめでおいしかった。
でも聴覚刺激を表す「うるさい-静か」は次のように中和できないようです…
(19) あれ以来、隣人のうるささは改善されましたか?
(20) これは静かさを備えたドライヤーです。
そもそも「辛い-甘い」「うるさい-静か」は事物の属性を表すこともできるので、そう考えると属性形容詞と感情形容詞の境界線が曖昧です。もしかしたら中和できるかどうかは属性形容詞かどうかという見方ではなくて、対義語をひとまとめにする中立的な概念があるかどうかによるのかもしれません…
参考文献
宮島達夫(1977)「語彙の体系」『岩波講座日本語9 語彙と意味』17-23頁.岩波書店
村木新次郎(2018)「意味の体系」『朝倉日本語講座4 語彙・意味』75-78頁,朝倉書店
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