銀行型教育と課題提起教育について
パウロ・フレイエ(Paulo Freire 1979)は、教師が生徒に一方的に語りかけ、生徒がそれを暗記するだけの現行の教育を、教師を預金者、生徒を銀行にたとえて銀行型教育と名付け、これを批判しました。このような教師-生徒の二分された関係にもとづく銀行型教育ではなく、教師は教師であると同時に生徒でもあり、生徒は生徒でもあると同時に教師でもあるような相互関係にもとづく課題提起教育が望ましいと主張しました。
銀行型教育(banking education)
フレイエは教師が一方的に生徒に語りかけ、生徒がそれに忍耐強く耳を傾けるだけの教育を、教師を預金者、生徒を銀行もしくは金庫に喩えて銀行型教育(banking education)と呼びました。
この銀行型教育では、生徒という入れ物を満たせば満たすほど良い教師であり、入れ物を教師が語りかけた内容で満たせば満たすほど良い生徒だと考えられ、生徒にはその預金を受け入れて貯えることくらいしかできません。生徒は教えられたものを蓄えることで知識を集めた存在になる機会は得られるものの、新しいことを創造したり、何かを変革したりする可能性を失うため、フレイエはそのような存在は真の人間ではないと主張しています。
銀行型教育の特徴としてフレイエ(1979: 68)は次の10の特徴を挙げています。
1 教師が教え、生徒は教えられる。
2 教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
3 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
4 教師が語り、生徒は耳を傾ける-おとなしく。
5 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
6 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう。
7 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。
8 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。
9 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を圧迫する立場に立つ。
10 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体にすぎない。
一方的な語りかけは生徒をただの暗記するだけの存在、すなわち語りかけられた内容を覚える入れ物に変えてしまいます。フレイエはこうした銀行型教育を批判し、教師と生徒という二分された関係を解消し、両者が教師でもあり生徒でもあるような関係にもとづく教育を行わなければならないとしました。それが課題提起教育(problem-posing education)です。
※”banking education” は「銀行型」以外にも「預金型」と呼ばれることもあ、翻訳者によって違うよう。
課題提起教育(problem-posing education)
課題提起教育(problem-posing education)は上述の銀行型教育に対立する概念で、「現実世界のなかで、現実世界および他者とともにある人間が、相互に、主体的に問題あるいは課題を選びとり設定して、現実世界の変革とかぎりない人間化へ向かっていくための教育」(フレイエ 1979: 80)のことです。課題提起教育における教師と生徒は二分された関係ではなく、教師は教師でありながら生徒でもあり、生徒は生徒でありながら教師でもあり、対話を通して共に成長するような関係をとり、その成長に対してお互いが責任を負います。したがって、銀行型教育のように一方的に何かを教える人もいなければ、一方的に教わる人もいません。
※「課題提起型教育」とも。
参考文献
パウロ・フレイレ(著)・小沢有作(訳)・楠原彰(訳)・柿沼秀雄(訳)・伊藤周(訳)(1979)『被抑圧者の教育学』63-92頁.亜紀書房
コメント
コメント一覧 (4件)
銀行型教育の10個の特徴の中で、7番の教師が項動詞、生徒は教師の行動~の所で、「項動詞」ではなく、「行動し、」だと思います。
>保科さん
確認いたしました。ご指摘ありがとうございます。
ご迷惑おかけしました。
同じく、10個の特徴の8番も同様、教師が教育内容を選択肢、生徒は~の所で、「選択肢」ではなく、「選択し、」だと思います。
>保科さん
毎日のんびり日本語教師です。
重ね重ねありがとうございます。2カ所もあるとは大変失礼しました。すでに修正いたしました。
何かご不明点などございましたらいつでもこのようにコメントいただければと思います!